ウミネコ コサギ
鳥は二本足で立っても、あまり直立不動にはならないので、体の長さを示すにあたり「身長」という言葉は用いず、「全長」という。鳥類における全長とは、くちばしの先端から、尾羽の先端までの長さ。
これは体を伸ばして空を飛んでいるときの体長を示す(例外もいて、コサギのように飛びながら脚を後に伸ばすと尾羽より長い鳥もいる)。ひたすら鳥を真似て作られている航空機も同様に全長で表す。さて今回は陸軍の戦史叢書(6)にあるマリアナの戦いにおける海軍戦力(特に基地航空部隊)の状況を題材にする。
すでに海軍の戦史叢書(12)で同様のテーマの記事を書いているため重複もあるが、分かりやすい資料、表現もあるので読もう。なお、今回の題名「鳥の歌いまは絶え」はSF小説の金字塔。半世紀も前に著されたクローン人間の物語。
戦史叢書(6)によれば、マリアナの海軍戦力は、大別して基地航空部隊と在島(陸上)の諸隊がある。昭和十九年(1944年)2月以降、中部太平洋方面艦隊の司令部がサイパンに進出したのにともない、編成替えが行われた。
サイパン在島の戦力は、新編の第五根拠地隊(長、辻村武久少将)の下、警備隊、設営隊、第五建設部、通信隊、防空隊などが置かれ、また既出の部隊としては潜水艦の第六艦隊司令部、第三水雷戦隊、空挺団の横一特もその指揮下にある。
一方の基地航空部隊は第一航空艦隊、すなわち戦時の呼称でいうと「第五基地航空部隊」が中部太平洋方面に置かれ、「あ」号作戦開始の下令時点で、同部隊には四つの空襲部隊があった。まず、第二空襲部隊とは二二航戦のことで在トラック。
第三空襲部隊は二三航戦等で在エフマン、ケンダリー(スラウェシ島=当時のセレベス島にある)。第六航空部隊は二六航戦などで、在ダバオ。最後に四つ目の第四一空襲部隊があり、先述のとおり六一航戦の兵力を東西に分離した。
そのうち東空襲部隊は「一航艦長官」(角田中将)の直率で、六一航艦の半分(第二攻撃集団)、加えて一〇二一空、一〇〇一空の一部、九〇一空派遣隊、そのほか偵察機隊や輸送輸送機隊が、マリアナ(サイパン、テニアン、グアム)に置かれた。
もう一方の西空襲部隊は、六一航艦の残り半分(第一攻撃集団)と、トラックの二二艦戦隷下から抽出された二〇二空と五〇三空(併せて第三攻撃集団)が、パラオのペリリューと西カロリンのヤップに置かれた。
なおこれまで西カロリンとパラオの関係をあいまいにしたまま併記してきたが、地理上はいずれも西カロリン諸島に属する。現代の国名はパラオ共和国と、ミクロネシア連邦(ヤップや当時のトラック=今のチュークなど)に分かれる。
今回改めて兵力の詳細にまで触れたのは、ブログ師匠に頂戴した情報を活かしたいからであり、すなわち100番台は偵察航空隊、200・300番台は戦闘航空隊、500番台は艦爆・艦攻攻撃隊、1000番台は輸送航空隊(注:時代により呼称は異なる)。
航空隊名を更に細かく補足すると、第一攻撃集団には第二六三、三四三、五二一、五二三の各航空隊。第二攻撃集団には第二六一、二六三、五二一、五二三の各航空隊に所属する機が分散配置された。正式名はマリアナの二六一空を例にとると、「第一航空艦隊・第六一航空戦隊・第二六一海軍飛行隊」。戦時編成で第二攻撃集団に所属。
そして海の向こうから戦さがやってきた。上記の第二(マリアナ)および第三(ペリリュー・ヤップ)の両攻撃集団から、約一五〇機が渾作戦のため、豪北ビアク方面に進出した。マリアナに残った約一五〇機は、6月11日に始まったスプルーアンス艦隊の空襲と艦砲射撃で「ほとんど壊滅してしまった」。制空権が消滅した。
西カロリン方面に進出した集団も、渾作戦における消耗、基地の不備による事故等、マラリアなどにより搭乗員も航空機も損耗し、従来からパラオに在った第一攻撃集団と併せて約一五〇機にまで減少した。そして敵機動部隊発見。
6月18日、これらの基地航空部隊は、艦爆連合五十八機で敵機動部隊を攻撃したが、輸送船三隻に損害を与えた程度にとどまった。翌日にマリアナ沖海戦が始まると、基地航空部隊は全機グアムに集結し、小沢機動部隊に策応するよう下令された。海戦の結果について引用する。
連合艦隊は、この決戦において先ず基地航空部隊の大部を失い、次で空母九隻のうち大、中型三隻を失い、同じく四隻に損傷を受け、艦載機の大部を失った。
この結果が前述したサイパン奪回作戦の企画・推進に大きな負の影響を及ぼす。詳しくは次回にて。周知のとおり、サイパンは見捨てられた。6月19日夜、「万一サイパンを失うようなことになれば、東京空襲もしばしば行われることになるから、是非ともサイパンを確保せねばならぬ」という趣旨の陛下の御言葉が伝達されたのだが。
象徴的にいえば、対米戦は真珠湾攻撃で始まり、原爆投下で終わった。前者は零戦の航続距離がそれを可能にし、後者はB29の航続距離がこれを可能とした。サイパン陥落以降、多くの日本人は、軍人と人民を問わず、また外地と内地を問わず、従来に増して凄惨極まる戦争体験を強いられることになる。
(つづく)
カワウと船と飛行機と (2024年7月19日撮影)
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