銀魚

 

 

前回の続き。敵上陸開始に備え、第四十三師団の齋藤師団長は、実質的にサイパン島陸軍の指揮者として、師団以外の部隊も併せて守備を固めた。大別すると、水際の第一線と、今回の題材である内陸部のヒナシス山付近の第二線。

 

先回の地図を再掲する。ヒナシス山はチャランカノアとオレアイ(この名は地図に無いがチャランカの北の海岸沿い)の内陸側にあり、タッポーチョ山の南にある。この第二線を突破されると、アスリート飛行場の守りは風前の灯火。

 

 

 

戦史叢書(6)によると、敵艦砲射撃が始まった6月13日、第一線のオレアイ、チャランカノアに、前回の河村部隊、有馬部隊を進出させて、同地区の主力である歩兵第百三六連隊(岐阜)による水際防備を増強すると共に、上記第二線の強化も図った。

 

同師団長はまた戦車第九連隊第五中隊を北地区から復帰させるとともに歩兵第百十八連隊第一大隊(長、山崎利夫少佐)をヒナシス山付近に派遣して、第二線陣地の増強を図った。

 

 

後者は伯父の連隊の第一大隊で、戦力の程は不明なり。なにせ海没で兵器はすべて沈んだので、他の連隊の兵站部隊などから銃を借りていたらしい。そしてヒナシス地区には砲兵が置かれた。そのうちの一つが前回の「黒木大佐の十五榴大隊」。

 

それにしても、十五榴というのはガダルカナルの戦い等で時々出てきたので名前だけは覚えているが、あのころは九十六式という昭和時代の兵器だった。黒木部隊の十五榴は前回引用のとおり、四式(大正四年生まれ)の旧型。大陸から運んだか。

 

 

朱文金

 

 

ここで視点を相手側に置き換え、米海兵隊のサイトを見る。「海兵隊大学」というのがクアンティコにある。そのウェブサイトに、”The Seizure of Saipan”(サイパンの攻略)という概説があり、短くて読みやすい。けっこう正直で、苦労話が多い。

 

 

 

上陸部隊はホーランド・スミス(以下、呼び捨て)率いる海兵第2師団(長、トマス・ワトソン)および海兵第3師団(長、ハリー・シュミット)。予備として陸軍第27歩兵師団(長、ラルフ・スミス)。

 

先の話になるが苦戦した米軍は、予備の陸軍師団もサイパン島に投入したが、これがまた進行速度が遅く、スミス対スミス事件(海兵隊と陸軍の喧嘩)なるものを引き起こすことになる。

 

 

ちなみに私のグーグル翻訳は、彼ら海兵隊員がギルバートやマーシャルで勝利した「退役軍人」たちだというのだが、いくら何でもこの「veterans」は別の語義である古参兵、古強者の意であろう。グーグル先生、かく語れり。

 

6月15日午前8時過ぎ、第2海兵師団と第4海兵師団の多くはギルバート諸島とマーシャル諸島で苦労して勝利を収めた退役軍人であったが、上陸用舟艇に乗って島の南西海岸に向かった。

 

水陸両用トラクター (LVT) が海岸に近づくと、敵は予想外に自動兵器や対艦兵器による激しい一斉射撃を開始し、さらに大砲や迫撃砲による壊滅的な砲撃も開始しました。その結果、多くの LVT が沈没または使用不能になりました。それにもかかわらず、20分で8,000人が上陸した。

 

 

最後の20分で8千人という数字は戦史叢書も引用しており、情報源は米海兵隊公刊戦史。さて青字の二段落目に、日本軍が「予想外に」(原文は”unexpectedly”)反撃してきたとある。上陸に先立ち空襲と艦砲の火力で粉砕したはずだったので驚いたらしい。戦史叢書も同じ米軍資料を読みつつ、こう書いている。

 

 

米軍がチャランカノア海岸に向かって前進を開始するや、わが砲兵はその前進発起点に向かって射撃を開始した。

 

特にヒナシス北側の谷地に陣地占領中の黒木少佐の十五榴大隊は、連日の砲爆撃にもかかわらず一門の損傷もなく健在した全火砲をもって、突進する上陸用舟艇と、上陸点に火力を集中し、威力を発揮した。

 

艦砲射撃によって日本軍守備隊の無力化を信じていた米軍将兵は、この反撃に対して意外の感に打たれたのであった。

 

 

もちろんチャランカノア海岸方面(オレアイを含む)に配置されていた砲兵部隊は黒木大隊のみではない。水際作戦の生命線なのだ。大本営の晴氣少佐は、現地調査の結果、制空権を失っても砲撃で敵を防げると主張していた。

 

すなわち戦史叢書には、「マリアナ地区は、たとい海軍航空がゼロとなっても敵をたたき出せる。計算では(筆者注 第四十三師団が入れば)一粁当り三・三門あればよいところへ軽砲五門配置される」という視察報告をしている(第1650回)。

 

防ぎ切ることはできなかった。それでも海兵隊に大きな損害を与え、上陸のあと水陸両用戦車でそのままヒナシスの稜線に向かった海兵第4連隊は、砲兵火力を浴びて一部が引き返すなど、その前進は容易ではなかった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

コフキトンボ ♀帯型  (2024年5月22日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

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