チュウシャクシギ 不思議な声で鳴く。

 

 

引き続き菅野静子著「サイパンの最期」を参照中。彼女が不本意にも看護婦仕事を断念し、戦場から離脱するところ(「第一部」の終わり)まで読み、そのあとでようやく戦史叢書に移る。

 

本書に「老将官」という題の章があるのをみて、久しぶりに石川啄木の詩「老将軍」を思い出したが、なぜかこの詩がネットから消えている。啄木は左傾化し、昨今ネットでは人気が良くない。

 

 

前々回から三回続けて「この人は誰だ」という疑問から始まる。今のところ候補者が複数おり、他の事情もあって特定できていない。この老将官がドンニイ野戦病院に担架で運びこまれてきたのは、「医薬品がもう何もなくなっていた頃だから、多分二十四、五日を過ぎた頃だったと思う」。

 

6月25日、大本営ではサイパン奪回作戦が反故となり、実質的にサイパン島は放棄された。野戦病院では艦砲による負傷者が増え、そして次々と破傷風で死んでゆくと書かれている。消毒もできないようになったのか。老将官についての記述。

 

この島の陸軍で一番偉い人だと私は衛生兵から聞かされた。私は陸軍でも海軍でも、こんな年をとった軍人を見るのは初めてであった。この老将官は、右の腕が根本から砕かれ、ただ肩にブラ下っているという状態であった。

 

 

彼女はこの老将官の名を戦後まで知らなかった。だから本文中どこにも氏名や部隊名などは出てこない。齋藤の名も、井桁の名も本書には出てこない。

 

だが、日本語版Wikipediaは「サイパンの戦い」の項目において(本稿の下書き時点では)、菅野静子「サイパンの最期」を出典と明記しつつ、この人物は第四十三師団の齋藤義次師団長であると断定している。プリント・スクリーンを貼っておく。

 

 

 

なお、このWikipediaの「サイパンの戦い」においては、同様に菅野さんがその名前を書いていない落下傘部隊の「隊長殿」を、唐沢指令だと決めつけており、以上の箇所に限っていえば、自称百科事典として不誠実、不確実である。

 

前にも書いたが、私はWikipediaをよく使う。特に自然科学の分野ではお世話になっている。一方で人文社会の領域、特に人物や作品など、評価や好き嫌いが含まれる項目は胡散臭いのが多く、単純な事実誤認もあるので必ず裏どりをする。

 

 

 

理由は後述するが、私はこの老将官を第三十一軍の井桁敬冶参謀長だと思いこみながら読んでいたので、このWikipediaを見て「おやおや」と思い、ちょっと考えてみた。この後の登場場面も含め、本文中に老将官が誰なのかを察するための有力の手がかりは「陸軍で一番偉い人」。

 

どうせ二人とも自決して果てるのだから誰でもよかろうと人は言うかもしれないが、齋藤師団長は、うちの伯父の上官なのだ。雲の上の御方だが、ゆめおろそかにできない話である。

 

 

軍隊組織をよく知らない相手に、「陸軍で一番偉い人」と説明する場合、なかでも特に「一番偉いって、どういう意味ですか」と訊いてきそうな相手の場合、軍隊の階級で決めておけば返事が楽だ。齋藤は中将、井桁は少将(戦死後、中将)。

 

たぶんWikipediaの筆者も、そう考えたのではないか。いちおう筋は通る。一方で、私が読みながら井桁参謀長だなと感じたのは、サイパン不在の第三十一軍司令官小畑英良中将の代理として、彼が現地陸軍を指揮したからだ。一例を戦史叢書から挙げる。

 

サイパンに残留していた軍参謀長井桁少将は、軍司令官の名をもって、第四十三師団齋藤中将に上陸部隊の撃滅を命ずるとともに(以下略)

 

 

これ以降も、井桁参謀長は小畑軍司令官や大本営あてに、報告連絡の電信を発し続けている。7月4日に大本営陸軍部次長あて、「訣別電」を打っているのも彼だ。臨時代理とはいえ、現地陸軍の代表者と言い得る。これらを先に読んた上でのことだから、私の場合「一番偉い人」という表現をみて、これは井桁さんだと思った。

 

本書(私の菅野書は昭和五十七年発行の単行本)の本文を読み終えて、「あとがき」に目を通した。先回の病院長である「隊長」の氏名が分からなくて残念だという箇所に続き、こういう記載がある。

 

御遺族の方々と手紙の往復を重ねているうちに、当時はお名前も存じ上げなかった方々のお名前がだんだんにわかってきました。ただ「閣下」とだけしか誰も呼ばなかったあの老将官は、第三十二軍(ママ)参謀長井桁敬冶少将とわかりました。

 

 

この先の老将官の登場場面に、彼と著者が交わした会話が出て来る。御遺族はその中のどこかで彼だと分かったのだろうか。あるいは生還した部下などから、ドンニイ野戦病院に運び込まれた経緯でも聞いていたのだろうか。

 

言わずもがなのことを申し上げると、これで決まりだと簡単にすませてよいものかどうかは議論の余地がある。兵士にとって指揮命令系統の頂上にいるのは司令官であって、参謀長ではない。他方で井桁参謀長の場合、図らずして「参謀統帥」になった。

 

 

また、先の話をするが菅野書によると、老将官は一人で自決した。だが私がこれまで読んできた本や映画では、最後の突撃に先んじて、三名の高官が一緒に自決する場面が良く出て来た。通説では南雲、齋藤、井桁の三将軍ということになっている。

 

次回は先ず、この老将官の登場場面の概略に触れ、続いてサイパンの司令官たちの最期について、手元の別資料を読んでみる。上記の如何にもドラマチックな集団自決のシーンには、異論が少なくないのだ。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

ホウロクシギ  (2024年4月26日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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