葛西臨海公園のクロツラヘラサギ。絶滅危惧種。

 

 

今回から久しぶりに菅野静子著「サイパン島の最後」に戻る。島民の狼狽や、民間人から見た軍人の様子が詳しく描かれている貴重な回想録だ。中断する前(第1724回まで)は、敵上陸時点まで読んでいる。

 

今回は上陸翌日の昭和十九年(1944年)6月16日。場所はタッポーチョ山近くの洞窟の中。軍人、官民ともども前夜から避難している。彼女も周囲も、夜が明けるころまでは、前日の敵上陸を知らなかった。

 

 

彼女が産気づいた妊婦の手当をしていた朝の4時ごろ、一人の陸軍の兵隊が駆け込んできて、敵がチャランカに上陸したと怒鳴った。味方は一回目は押し返したが、二回目に上陸された様子である。そして今後、彼女が住むガラパンにも上陸する模様。

 

ガラパンの桟橋に戦車隊が来ていると聞き、彼女は兄を捜しに洞窟を飛び出た。照明弾がガラパンを明るく照らしているが、妙に静かだった。めずらしく艦砲射撃の音がしない。理由はすぐわかった。敵は同士討ちを回避している。

 

 

大型輸送艦(L.S.T.)がリーフに接近しており、そこから小さな舟艇がたくさん海上に出ていた。兵隊たちが飛び乗っている。舟艇は横一列で海岸に近づいてきて、リーフのことろで停まった。

 

これに対し島の林の中から一斉に砲火が起こり、つづいて大通りに戦車が現れた。「兄ちゃん」と叫ぶ。「こら、女、危ないから中に入っていろ」と怒られた。戦車は「合計十台、一列になって桟橋の方へ進んでゆく。先頭には兄ちゃんが乗っているのだ」。戦車隊は桟橋に着くと発砲し始めた。

 

 

  

 

 

最初のうち、日本軍の弾はよく当たり、舟艇がひっくり返ってゆく。相手は病院船が出てきて、泳いでいる兵隊を拾っている。どこにかくれていたのか知らないが、「この勇ましい日本軍の攻撃を見て、夢のような気がした」。

 

突然、沈黙していた敵艦隊から閃光が走り、続いて轟音が空気を震わせ、今までにない激しいつるべ打ちが始まった。さらに沖合の空母二隻から、爆撃機らしき航空機が飛び立った。海と空からの集中攻撃に、日本軍は沈黙した。戦車も動かない。

 

 

彼女の度胸、記憶力、観察眼は大したものだ。青黒い迷彩服を着た顔の黒い海兵隊員が、桟橋に大勢上がり込んできた。眼下の街はわずかな残骸を残し、焼野原になっていた。「これがガラパンの街か。なぜか、涙も出ない」。

 

タッポーチョ山からは、実家のあるテニアン島も見えた。同じように攻撃されているだろう。両親や妹たちが心配だった。サイパンでは敵の砲爆撃はタッポーチョ山に集中してきたが、洞窟は岩盤が強く中にいれば大丈夫だった。

 

 

その洞窟に運び込まれてくるケガをした兵隊の数が急増した。薬も繃帯も足りない。街から出てくる前に、「海軍病院はタッポーチョ山に避難した」と聞いたのを思い出した。ガラパンの街中の病院が空っぽなのは、医者や看護婦が海軍病院で働いているからではないかと思った。

 

洞窟に海軍の兵隊がいた。乗艦が海没し左足を切断、海軍病院に入院していたが、11日に始まった空爆でみんな逃げてしまった。「陸軍の野戦病院ならドンニイの山にあると聞いたので、自分も夜になったらそこへ行ってみようと思っている」。

 

読書は次回に続くとして、サイパン島の略図で確かめる。6月15日に敵が上陸したのは南西(左下)のオレアイ、チャランカノアの海岸だった。いま彼女たちがいるのは、その北側の島中央部西海岸のガラパンから内陸に入ったところにあるサイパンの最高峰タッポーチョ。

 

ドンニイはその北東(右上)にある東海岸の北部で、病院は敵と反対側に移ったわけだ。ガラパンの上あたりに「海軍地区」と書いてあるように、ここが第五根拠地隊や唐島部隊など中部太平洋艦隊の海軍が守る区域。概ねそれ以外を陸軍が担当する。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

幼鳥は嘴の色が薄い。成鳥は上掲のように黒。  (2024年4月28日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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