お供え物は金平糖

 

 

今回以降は淵田美津雄・奥宮正武共著「機動艦隊」に戻る。同書は決戦場に向かう海上で、「大鳳」への着艦に失敗した事故の話題の箇所まで読んだ。これから海戦が始まるのだが、その前の箇所に「第四節 角田部隊の戦闘」という項がある。

 

本書は題名どおり機動部隊の戦史なのだが、角田部隊は基地航空部隊である。それに一節を割いた事情として、以下、二つ挙げる。一つは、戦史叢書(12)にもあったように、角田部隊はマリアナ沖海戦時には、偵察以外の戦闘能力を殆ど喪失していた。

 

 

同戦史叢書は、「第四章 『あ』号作戦準備」の冒頭部分において、この作戦の企図と方針に触れている。企図とは、「連合軍の絶対国防圏の来攻に際し、米機動部隊を撃破して、連合軍の進攻に反撃を加え戦局の転換を図ろう」とするものだった。

 

その隷下に伯父の連隊も含むマリアナの第三十一軍も、絶対国防圏の防波堤となるべく派遣された。同じ戦略に基づく。それを理由として、本ブログでは伯父の戦争に、マリアナ沖海戦を含めている。

 

 

なおこの戦史叢書は、戦時編成として、陸軍の第三十一軍は、海軍の中部太平洋方面艦隊の指揮下に置かれたと明記している。他方、「中部太平洋方面艦隊の『あ』号作戦は史料なく不明である」。後述するが、この詳細不明という惨状は角田部隊(第一航空艦隊)も同様である。ひどいものだ。

 

次にもう一つの理由というのは私の想像に過ぎないのだが、共著者はいずれもこの海戦の当事者としても、軍歴が重なる時期があるという点においても、角田覚治中将との関りが深い。

 

 

淵田参謀は、この海戦の少し前までテニアンの角田司令部の幕僚だった。昭和十九年(1944年)5月に、海軍乙事件で総入れ替えに近い新司令部ができた、連合艦隊の航空参謀になった。結果的に、この異動が命拾いになる。

 

奥田参謀は自身が語るところ、小沢艦隊の幕僚では最古参であり、対米開戦直前に聯合艦隊参謀になっているから確かに長い。AL作戦でもソロモンの海戦でも、彼の上官は角田提督だった。南太平洋海戦で二人は「隼鷹」に乗艦している。

 

 

ガ島戦没者慰霊碑

 

 

戦史叢書が「あ」号作戦の方針として記述している箇所は、「潜水艦及び索敵機により早期に敵情を把握し、機動部隊、基地航空部隊の攻撃力を集中して、一挙に敵機動部隊を撃破、次いで攻撃部隊を撃破する方針であった」とある。

 

その片翼たる基地航空部隊が、角田司令長官の第一航空艦隊だった。淵田・奥田書の上記第四節は【註】として、「角田部隊は、その大部が全滅したため、今日サイパン、テニアン方面の詳細な記録を知ることができない」と結ばれている。

 

 

角田司令部が連合軍のテニアン島攻略に遭い、壊滅するのは8月上旬。しかしすでに6月のマリアナ沖海戦までに、先述のとおり多数の搭乗員と殆どの航空機を失っていた。本書では、特に6月11日以降のマリアナ空襲での損害が厳しかったとある。

 

一方でそれ以前にも、「相つぐ基地移動のため、あたら奔命につかれている間に、搭乗員も機材も、或いは失われ或いは傷ついて」、「貧弱」な戦力となってしまっていた。航空兵力は定員に対し、残存機数「わずかに二十%」。

 

 

この基地移動というのは、既述のように特定の基地に専属の飛行隊を張りつけず、機動的に戦場から戦場へと移動するという発想転換をし、あまりに広い戦域における受け身の戦いに何とか対処せんとしたものだった。マリアナ、カロリン、比国、豪北。

 

もともと不足する戦力を広域に分散したため、「飛行機隊の集中攻撃が不可能になった。その結果、各基地の散発的な攻撃に終始するのやむなきに至った」。その中で同書は、第二十二航空戦隊の敢闘に触れている。

 

 

二十二航戦は、直前まで第十四航空艦隊の所属だった。「航空艦隊」は、ガダルカナルでお馴染みの第十一航空艦隊と同様、航空母艦の艦隊ではなく、基地航空部隊の組織名としても使われるようになった。

 

十四航艦は中部太平洋方面艦隊に属しマリアナに進出したものの、戦況悪化が著しく損害大となり、4月29日付の大本営海軍部三十九日一一三一発電により、隷下の第二十二航空戦隊他は、中部太平洋方面艦隊から抜けて、第一航空艦隊に編入された。

 

 

二十二航戦(長、澄川道夫少将)の担当空域は東カロリン、基地はトラック環礁。トラックの敵空襲はまだ続いていたが、同隊は戦雲漂うサイパン東方の海面索敵を行い、敵サイパン上陸後はマリアナ周辺の敵艦隊の攻撃を行った。

 

これまで読んできた個人の手記に時折出て来たマリアナ上空の友軍機は、この部隊のものかもしれない。この攻撃の主な兵力は爆撃機「天山」。それ以外の零戦等は小沢司令部からの命令で、トラックからグアムに移動した。この島ものちに戦場となる。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

鉄底海峡  (2024年3月15日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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