椰子の樹にのぼる男

 

 

拘束稈というのは英語でいうと、逮捕と同じ単語を使い、アレスティング・フックという。稈というと操縦桿のような棒状のものかと思えば、航空母艦と艦載機においては、艦上に複数張ったワイヤーに引っ掛けて、着陸直後にほぼ瞬間的に機を停止させる鉤つきの桿(さお)。

 

マリアナ沖海戦の戦闘開始日、6月19日の午前10時ごろ、「大鳳」から第二次攻撃隊が出撃した。時間的に、そろそろ先発した第一次攻撃隊が、敵機動部隊の襲撃に入っているころだ。ところが艦内放送も、上官からも一向に様子が伝わってこない。

 

 

整備員たちは戦闘配置についたまま、この情報の欠如をいぶかりつつ、乾パンと握飯の戦闘食を口にしながら待機していたところ、「火気厳禁」の注意および「全排気装置の稼働」が厳命された。火薬庫ならともかく、火力で戦う戦場で火気厳禁という命令は珍しいだろう。

 

何でも今朝の魚雷の被害で、前部軽質油庫からガソリンが漏れ出し、ガス(揮発性の蒸気)が発生しているとのことだ。もう司令部も知っているはずなのだが、この戦況下で旗艦が決戦場から離脱し、修理に向かう訳にはいくまい。

 

 

福井静夫著作集「日本空母物語」によると、「翔鶴」「瑞鶴」には前部、中央、後部の三か所に昇降機があるが、新鋭艦「大鳳」は「飛行甲板に装甲を施した代償に、エレベーターを一基減じて二基」とした。

 

前部の昇降機は前回のとおり、木材で穴埋めしてある。このため「換気には役に立たないでいる」。そこで火気厳禁の注意と全排気装置の稼働命令を出し、艦上では後部の昇降機を降ろして、格納庫内にガスが充満するのを防ぐ措置を施した。通気口か。

 

 

コカンボナの疎林

 

 

正午ころから攻撃隊の収容隊形を組み、艦は風上に向かって航行し始めた。やがて零戦が一機、また一機とバラバラに帰って来た。搭乗員は疲れ切った様子で、出迎えの将校らと共に艦橋に消えてゆく。声のかけようもない。

 

午後2時ごろ、一機の零戦が戻ってきて「大鳳」の上空を旋回し始めた。整備員らは横索(アレスティング・ワイヤー)や、金属製の柵(バリケード)を張るなどの収容準備を行ったが、発着指揮所の旗を見ると「着艦セヨ」ではなく、「拘束稈、卸セ」の合図になっている。

 

 

なるほど旋回中の機は、拘束稈を下ろしていない。忘れるはずがないから、故障しているらしい。旋回しているのは、搭乗員が何とか降ろそうとしているかららしいのだが、とうとう指揮所も断念し、着艦を命じた。

 

滑走制止装置を担当する著者の部署は、いちばんの前面に立つことになる。搭乗員が着艦とともにエンジンキーを切って減速しないと、数日前の着艦失敗時のような火の海になる。覚悟を決め、部下にも覚悟させた。

 

 

零戦は「了解、着艦スル」の合図を返し、もう一度旋回してから、遥か彼方より着陸姿勢をとってゆっくり下りて来た。「大鳳」のガスに何から引火したのか、どの資料をみても「原因不明」になっているが、この手記は一つの可能性を示唆している。

 

もしかしたら「火打ち石」は空から降りて来たのかもしれない。後に著者は「あの飛行機のためだろうか」とも考えている。ただし、文章を読む限り着陸の瞬間は見ていないらしい。その寸前と直後の情景。

 

 

着陸機は速度を落としている割にふらつきもせず、理想的な着艦姿勢をとっている。そのとき、何か異常なことが、天地がひっくりかえるようなことが起きたのだ...。

 

(休んでいるのに騒々しいなあ)(俺はどこで寝ているんだ。固いベッドだなあ)

意識が徐々にはっきりしてくるにしたがい、あたりは日中の明るさであり、飛行甲板に寝ていることが分かってきた。

 

 

この文章は爆発が着陸直前だったとも読める。意識が戻った著者は、背中と左耳に激しい痛みを感じた。おそらく下方からの爆風でポケットから放り出され、背中あたりから甲板に落ちて気絶したらしい。起き上がって座り、周囲を見渡して驚いた。

 

まず、ポケットから10メートル余り離れた飛行甲板の中央に自分が座っている。甲板は盛り上がり、ポケットが坂の下にある。五百キロ爆弾にも耐えるといわれた二十センチ鋼鈑が大きく湾曲している。

 

 

母艦の方々から真っ黒い煙が吹き出しており、艦橋の煙突から黒い煙と白い蒸気が異常に吹き上げている。乗組員は右舷の方を右往左往している。

 

右往左往している乗組員は、よほどの幸運に恵まれたらしい。甲板上では「五体満足な乗組員を捜すほうが無理なほど、負傷兵ばかりが目につく」。倒れたまま動かない者、海に落ちている者。「大鳳は助かるのだろうか?」と不安になった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

ブラッディリッジにて、パパイアの木。 (2024年3月13日)

 

 

 

 

(ご参考: 横須賀市のサイト)