いずれはマリアナ沖海戦の損害について書く予定であり、それならば海戦前の兵力を見ておきたい。戦史叢書(12)も同感らしく、取りまとめがしてある。その時期はまだ宇垣艦隊の「大和」「武蔵」が渾部隊に含まれているので、6月11日以前のもの。

 

その箇所を戦史叢書は、「米軍のマリアナ来攻直前におけるわが軍の状況」と題しており、連合艦隊のみではなく、関連の基地航空部隊なども含めている。直前とはサイパン島への空襲および渾作戦中止の昭和十九年(1944年)6月11日を迎える前。

 

 

ではその構成を見渡すと、以下の通り、ややこしい。上記6月11日に発令された連合艦隊の「あ」号作戦準備において、基地航空部隊は後述のごく一部を除き「第五航空艦隊」(長、角田覚治中将)。

 

ごく一部の例外とは、「附属」の空中輸送部隊のことで、サイパン・テニアン・ダバオに置かれている。これは輸送担当という性格上、「適宜転進輸送」の裁量が与えられており、いちいち司令長官の命令を要さないのだろう。

 

 

第五航空艦隊の主力は、在テニアンの第一航空艦隊。この主力部隊の中には、その他に角田司令長官の直率を受けないカロリン(パラオやトラック)の「偵察部隊」および「邀撃部隊」もある。平たく言えば敵さんの通り道周辺に散在している。

 

偵察部隊はこの敵に対し「索敵接触」「要地偵察」「戦果偵察」などを行う。「邀撃部隊はトラックやパラオにある「基地の強靭なる確保」に努める。敵が撤退するときには偵察・邀撃の全兵力をもって追撃する。私にも経験がある。えてして机上の空論は楽しく盛り上がる。

 

 

ノスリ

 

 

海戦前夜のこれらの兵力の実数は、戦史叢書に公式の記録がない。一例を挙げれば、パラオは連日のように空襲を受けており、損害が増え続けているうえに、渾作戦の中継基地として忙しく、「中央では実数把握ができなかったものと思われる」。

 

主力の第一航空艦隊はどうか。以下むやみに細かいが、航空機の戦争である故、お付き合い願いたい。既出の組織構成において、第一航空艦隊の主力は第四十一空襲部隊であるが、その兵力の半分はパラオに送られ、マリアナには残りの半分。

 

 

このうち決戦の主戦力である「中間攻撃部隊」も「夜間攻撃部隊」も大半をカロリン、ビアクに送り出し、その結果、「第五航空戦隊の攻撃主力はマリアナ方面には存在せず、西カロリン以南に集中されていた。

 

作戦立案初期の段階では、基地航空の角田部隊と、機動部隊の第三艦隊(長、小沢治三郎中将)が、敵艦隊を挟みうちにして撃滅せんとす、だった。それがサイパン上陸前の段階で、ビアクへの投入、パラオへの移設等により減少し、さらに基地航空部隊の残存兵力は「哨戒兵力以外はなお訓練を要する状況であった」。

 

 

6月11日のマリアナ空襲直前の「兵力予想」なるものが載っている。すぐあとに敵襲を受けて無意味になる数字ではあるが、参考まで一例としてサイパンに136機。トラック、パラオ、豪北を併せて計435機。

 

基地航空部隊はマリアナ沖海戦において、どこまで実力を発揮し得たのか。先の話になるが、戦史叢書の評価は以下のとおり。敵マリアナ上陸以降、「逐次兵力を消耗して機動部隊の決戦に策応することができなかった」。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

エナガ  (2023年12月22日撮影)

 

 

 

2月18日 日暮里にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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