キセキレイ
私が子供のころから、ニミッツとマッカーサーの名を知っていたのは、以前も書いたが祖父がときどき「いざ来い、ニミッツ、マッカーサー」と言っていたからだ。てっきり祖父の作文だと思っていたが、軍歌「比島決戦の歌」の一節だった。
祖父にはもう一つ、「ルーズベルトは、ベルトがルーズでズボンがずれ落ちる奴」という口癖もあったが、これは格調が低いので軍歌由来ではなさそうだ。いずれも、これを私に語るときの祖父は笑顔だったから、景気づけの軽口のようなものだったか。
何度でも繰り返すが、祖父は自ら営んでいた木工所と自宅を空襲で焼かれ、経営と家督の後継ぎになるはずだった伯父が戦死している。だから戦争も米軍も憎かっただろうが、拙宅では祖母や両親も含め、私の子供時代、戦争の話は殆ど全く出なかった。紀元節などが話題になる家ではなかった。
周囲に訊くと家庭により様々で、うちと同様の場合もあれば、戦争や引揚の話ばかり聞かされて育ったひともいるし、村上春樹のように「一度だけポツリと」聞かされた人もいる。戦後生まれが戦争に関わりを持つきっかけは人それぞれ。
ハイタカ 雌の幼鳥らしい
還暦過ぎても勉強中の拙ブログでは、スプルーアンスの艦隊という言葉を時々使っているが、私が読んでいる古い戦史等においては、たいていニミッツの艦隊という表現になっている。
私があえてスプルーアンスの艦隊と書いているのは、一つには彼が伯父の戦場にいるからであり、もう一つはニミッツの艦隊のうち、ハルゼーの部隊は米軍の思い切った戦時編成により、南半球のマッカーサーの指揮下にあるので区別している。マッカーサーとの比島決戦において、機動部隊はハルゼーと小澤治三郎の対決になった。
そうはいっても最重要の米海軍の命令は、もちろんニミッツから出ている。陸軍の戦史叢書(6)の「米軍のマリアナ作戦計画と準備」の冒頭に一例がある。ここでいうマリアナ作戦計画とは、マリアナ沖海戦ではなく、マリアナ諸島の敵上陸作戦のこと。
以下引用する。ついでに補足すると、肝心な出来事にまだ触れていないが、米軍はサイパン島上陸日と同じ6月15日、中国の成都からB-29を飛ばし、八幡を空襲した。ドーリットル以来の本土空襲だった。お招きどおりに、ニミッツは出て来たのだ。
ミニッツ提督は、一九四四年(昭和十九年)三月十二日の統合幕僚会議(J・C・S、以下同じ)の指令に基づいて、トラック作戦計画を中止して、マリアナ作戦準備を最優先とする旨命令した。
三月二十日、中部太平洋作戦研究書がJ・C・Sから発行されたが、それによるとマリアナ作戦の目的は、
一 日本軍の海上、航空兵站線を攻撃する基地を設定する。
二 素通りしたトラック島の制圧作戦を支援する。
三 日本本土襲撃のB-29の基地とする。
四 パラオ、フィリピン、台湾、中国本土に対する攻撃を容易にする。
というのであった。
同戦史叢書によると、中部太平洋方面の全作戦計画は「グラニト計画」と呼ばれていた由。この名で検索しても、まっとうな結果が出てこない。スペイン語で”granito”はニキビ・吹き出物の意。英語で"granit"は花崗岩、派生して形容詞” granite”は「堅固な」という意味らしい。これかな。
せっかくの機会なので、当家のAI娘、アレクサに口頭で「グラニトって何?」と訊いたところ、グラニュー糖の説明が始まったので転進。次にchatGPTによると、1950年代のソ連における極秘の核戦争の軍事計画である。これで偵察は諦めた。
同計画は改定を重ねた。1944年6月3日の第十一次グラニト計画において、「マリアナ作戦は第一順位に繰り上げられた」。すなわち、「サイパン、グアム、テニアン占領 1944年6月15日」。この改定日の6月3日は、ビアク島の戦いにおいて連合軍が優勢になったころにあたる。次の段階を見据えたものだ。
スプルーアンスの艦隊の構成はすでに概略を記しているので、ここでは部隊名や人名の詳細は省く(同戦史叢書の431ページに詳しい組織図がある)。前段の上位計画グラニトの改定前である5月23日に、既にニミッツはスプルーアンスおよび上陸部隊指揮官の提督リッチモンド・ターナーに対し、サイパン上陸計画を下令している。
これによると、上陸作戦部隊の海兵隊ニコ師団のうち、第2海兵師団がチャランカノア北方、第4海兵師団がチャランカノア正面及び南方に上陸する。第2師団は北進してタッポーチョ山等を攻略する。第4師団は南進し、アスリート飛行場を奪取する。
上陸予定地はチャランカノアの北にあるオレアイから、南にあるアギガン岬までの西側海岸線の一帯。同時に一部兵力をもって、北方のガラパンの更に北側において一部兵力による陽動作戦を実施する。
チャランカノアの日本軍の「防備が堅固で上陸できないと判明したときには」、ガラパン北方地区における「予備行動」に切り替える。珊瑚礁用の攻撃兵器として、LVT(水陸両用装備車輛、通称「アムトラック」)を使用する。
続きは次回として、今回は余談で終わる。現在、「アムトラック」は全米の公共鉄道網の通称になっている。これには二回乗った。一度目はロサンゼルスからアリゾナまで土漠の中を、二度目はポートランドからサンフランシスコまで、幽玄なるセコイアの森を夕暮れに通過した。最安値の普通席だったのに、社長室のような座席だった。
(つづく)
一月のシジミチョウ (2024年1月4日撮影)
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