柳に風折れ無し
前回のつづき。著者の旧姓三浦静子氏は、洞窟の中で負傷者の濡れタオルを取り換える作業をしながら夜を徹した。明けて6月13日、同じ時刻にまた敵機の大編隊が現れた。もう必要ないからか、壊されたのか、空中警報のサイレンも鳴らない。
彼女の心境はすでに「死ぬことさえも怖くはなかった」。日本陸軍の対空砲火は活発であり、高射砲が空に黒い死の花を咲かせている。しかし友軍機は来ない。堪え切れず後藤という兵隊が「部隊へ戻る」と叫んで病床から飛び出していった。
制止も聞かず別の二人も走り出していった。しかし、そのうちの一人が撃たれたようで倒れ、それを助けようとした別の兵も撃たれて背中から血が噴き出した。先頭を走っていた後藤と、うしろで見ていた著者は、撃たれた二人のところに駆け寄った。
別の二名の助力を得て、重傷の二人を事務所に運び込んだ。撃った敵機は、ひとたび去ってから反転してきて二人を斃している。また来るかもしれない。敵は民家に爆弾を落としてはいないようだが、人がいるとなれば情け容赦なく撃ちまくるらしい。
カワウの群れとトビの群れ
彼女は事務所も危ないと考え、提案し全員で防空壕に移った。果たしてニ三分後に、再来した敵機が事務所を機銃掃射した。そして撃たれた二人は、その日のうちに落命した。彼女は壕の中に入り来る、ほのかな日の光で二人の顔をみていた。
私は生まれてから十八年、サイパンに戦争が来るまでは、まだ一度も死人の顔を見たことがなかった。だから、死ということを、ほんとうは知っていなかったのかもしれない。しかし、いま目の前に、「死とはこれだよ」と教えてくれるように、二人の兵隊さんが死んでいる。
そばで後藤さんが泣いていた。自分が飛び出さなかったらと己を責めただろう。海軍の兵隊たちは相談の結果、歩けない重傷者二人と付き添いの一人を洞窟に残し、「山へ行くことになった」。部隊を探し当てたら、戻ってくると言い残し、三名の面倒をみてくれるよう頼んできた。彼女は「二つ返事で承知した」。
重傷者のひとりが、「ねえちゃんも山へ行ったほうがいいね」と声をかけてきたが、彼女は兄がこの島の戦車隊におり、「だから私は、兵隊さんをみると、みんな兄さんのような気がするの」と応じると、みな黙ってしまった。泣いているようだった。
入れ替わりで、陸軍の兵隊が入ってきて、「なんだ、女がいるのか」と驚いた。陸軍兵は、ほまれ部隊の所属で、「あなたは看護婦さんですか」と訊いてきた。彼女は「黙って首を横に振った」。しかし誉部隊の兵は構わずに、重傷者を連れてきていいかと尋ねてきた。断るわけにはいかなかった。
私の理解では軍医はともかく、衛生兵になるにあたり、医療従事者の国家資格は不可欠ではなかったはずだが、どうだろう。彼女は二日目まで、「冷凍」と呼ばれている食品会社の事務員だった。しかしこの戦場に必要なのは国家資格ではなく、職業意識であると思う。この要件は満たしている。柳腰に風折れ無し。
夜中に「物凄い爆発音が近くでした」。咄嗟に時計を見ると、午前四時だった。もう14日になっている。この日が命日になると、彼女は覚悟した。火薬庫でも爆発したのかと思ったが、昼間に洞窟から山へと出て行った兵隊たちが、部隊を探し得ずに戻ってきて、「艦砲射撃が始まったぞう」と知らせて来た。
14日の夜明けごろ、海軍の落下傘部隊員が、「水産の防空壕はここか」と尋ねて来て、ここにいては危ないと告げると、一同は山に向かうことになった。そのとき別の爆弾がすぐ近くに落ちた。彼女の「水産」の事務所は、「クシャクシャに壊されてしまっていた」。鉄の破片を拾おうとして、指先に火傷をした。
(つづく)
クヌギの紅葉 (2024年1月1日撮影)
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