今回も南信州の秋

 

 

かつて、日露戦争と先の大戦の両方に従軍した海軍軍人は、山本五十六しか知らないと書いた。やがて永野修身もそうだと知り恥をかく。さらに三人目も出たので、もうこの話題は止める。嶋田繁太郎が巡洋艦「和泉」に乗っていた。山本と海兵同期。

 

対馬沖でバルチック艦隊を発見した「信濃丸」は、「敵艦隊見ユ」の第一報を送ったのち間もなく離脱。続いて「和泉」がその挺身斥候の重責を担った。「和泉」は克明に敵艦隊の編成を看取し、連合艦隊司令部の旗艦「三笠」に送っている。

 

 

このときの電文のPDFを、たしかアジア歴史資料センターのサイトだったと思うが、写しを見たことがある。文庫本「坂の上の雲」の第八巻巻末にある「日本海海戦図1」の敵艦隊の配置図は、このとき「和泉」が報告したものだ。

 

図に書き込まれている「この辺りの陣形ははっきりしない」という注釈も、「和泉」が「三笠」に知らせた。このダンゴのような陣形を、東郷長官はツァイスの双眼鏡で正面から見た。すれ違いざまの片腹同士の撃ち合いには向いていないようだった。

 

 

その40年後、マリアナ諸島の帝国海軍は海空兵力を殆ど持たぬまま米軍と対峙している。前回の続きで青木隆氏著「サイパンの海蒼く」によると、6月13日、見張りが発見した艦隊は、「いまどきその艦影が敵以外の何者でもないことは明らかだった」。

 

見張の報告では、敵艦隊は駆逐艦7隻。サイパンを一周したあとテニアンに向かった。これが戦史叢書に出て来た掃海か。伝令が来て「大隊命令、戦艦および空母を中心とする相当なる敵艦隊は、わがサイパン島近海にあり。艦砲射撃を受くるやもしれず、対空射撃に関係なき隊は、すみやかに退避せよ」。

 

 

洞窟の入口に並んでいた民間人は、洞窟内に逃げ込んだり、どこかへ逃げ去ったりで騒然となった。著者の小隊は山の後ろ側に退避した。そこには先に避難した「民間人の新しい死体」が転がっている。赤ん坊が死んでいる。誰も遺体を片付けない。

 

当時サイパンには2万5千人の民間人がいた。このブログでは、これまで外地で戦没した民間人の話題もときどき出てきている。しかし殆どは船員、漁民、設営隊、従軍記者、慰安婦等々の軍隊と行動を共にしていた人たちの悲運だった。

 

 

それがサイパン以降は、質的にも人数も大きく異なる。日本人街に住み、商売や農工業を行ってきた昔からの移住者であり、本土同様の暮らしがあり、赤ん坊がいる。民間人と軍人は、お互いが不要になり、だんだん険悪な関係になってゆく。

 

「民間にはまったく困るな。民間がいると、戦争がやりにくい。司令部で何とかして方法を講じなけりゃあ駄目だなあ」と小隊長が顔をしかめた。

 

 

 

両者の関係も一様ではない。著者の隊は長く駐留していたようで知り合いが多く、南洋興発の社員、アスリートの学校の先生、日本人街の人たちの顔を思い浮かべた。「はたして無事だろうか、あるいはこのようにして死んだのではないだろうか」。

 

さて、この手記は長い。しかし最後まで読んでも、解説を見ても、著者が所属した部隊の正式名が出てこない。司令によると「落下傘部隊」であり、通称で「唐島部隊」の「渡辺隊」にいたと書かれている。戦史叢書とインターネットで調べた結果の概略は以下のとおり。

 

 

海軍の戦史叢書(12)の別冊付録には、マリアナ沖海戦ほかマリアナの戦いに参加した部隊の一覧表が載っている。もっとも本文には、当時の資料がほとんど残っておらず、戦後に調製したものを参照したと書かれている。

 

この一覧表は樹形のような組織図ではなく、電話帳のように部隊名が並んでいるだけだ。「唐島」の名が一つ出て来る。「横1特 司令 少佐 唐島辰雄」。「期間」は「18.7.1~19.6.15」。おそらく、唐島少佐が司令であった期間だろう。

 

 

「横1特」とは、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊。日本海軍の落下傘部隊。もはや今、精鋭の各落下傘部隊が降下する機会が減り、彼らを乗せて運ぶ航空部隊の余裕もない。昭和十八年(1943年)の後半ごろから、中部太平洋各地に分散配置された。

 

横一特については、海軍の戦史叢書(62)に、「横一特のサイパン進出」という項がある。同年8月に横鎮の陸上防備部隊に部署され、久里浜で訓練の後、一部はナウルへ、また唐島司令以下の陸戦隊(主力は銃隊、速射砲隊)は、9月9日、「乾安丸」に乗り横須賀を出港。

 

 

護衛に駆逐艦「雷」がつき、9月16日、サイパン着。その本部をアスリート飛行場の部隊宿舎に置き、そのままサイパンの警備、米軍の上陸阻止を担当することになる。著者紹介欄にある「サイパン島守備隊」という表現は、大本営発表にもある。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

天竜川のカワアイサ  (2023年11月20日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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