ジョウビタキ 左♂ 右♀

 

 

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。昨年、63歳になりました。子供のころ、ひどく病弱だったことを考えると長生きしたなあと思います。

 

 

新年早々に大きな地震がありました。被害に遭われた皆様方にお悔やみ、お見舞いを申し上げます。それから早速SNSにスマホで撮ったらしい動画が流れていますが、地割れの上を歩いたり津波を車で追いかけながらだったり、余震や津波の第二波以降が恐ろしくないのか。三陸や熊本を忘れたのか。真似する者が出る前に削除してください。

 

さて今回は戦闘場面からは離れますが、地理的には次回以降の記事と関連するマリアナ諸島の話題です。現在マリアナ諸島は、まず政治的にグアム(正確にはその周辺の小さな島も含む)と、それ以外とに分かれます。グアムは米国の準州。サイパンほかそれ以外の島々は、私が若かったころはアメリカの自治州と呼ばれていました。

 

 

準州はグアムのほかにもプエルトリコがあります。米国領土ですので、準州に居住する人たちには米国籍があり、私たちがグアムに旅行するときは、米国の入国や税関の諸制度に従います。通貨は正式に米ドル。

 

他方で、準州の住民には投票権がありません。ほしければ引っ越せばよいのですが、地元の人たちがそう簡単に遠い「本土」に移住できるものではないと思います。一言でいえば、先住民に同等の権利は与えない。

 

 

米国には日本の郵便番号に類似する"zip” という数字5桁のコード・ナンバーがあり、私が住んでいたころは、グアムのzipはカリフォルニア州の系列に含まれていました。複雑ではありますが、ともあれ米国の領土です。

 

それではグアム以外のサイパン、テニアン、ロタなどのマリアナ諸島は何と呼ぶかというと、日本の外務省の表記では、「北マリアナ諸島(米国自治連邦区)」です。カタカナ英語でいうと、コモンウェルス。私の理解では自治という用語がほのめかすように、内政の権利はありますが、独自の外交と軍事は不可。

 

 

 

 

上図は英語版Wikipediaのものですが、(UNITED STATES)とあり、我が物顔です。西側の海を英語ではフィリピン海と呼ぶこともあって、マリアナ沖海戦は敵さんにとってフィリピン海海戦になりました。

 

マリアナ諸島は如何なる造詣の妙が働いたものか、特徴としては綺麗な弓形(ゆみなり)に並んでいます。もう一つ、群を抜いて大きな4つの島、グアム、ロタ、テニアン、サイパンが南側に集中しています。私はこの4島にのみ渡航経験があります。

 

 

これから使う資料の中には、北部のマリアナというような表記を使う時、行政区分は上記のようにグアム以外が北マリアナ諸島ですが、他方で、サイパンよりも北にある小さな島々を北部諸島と書いてある資料もありますので混乱しないよう留意します。

 

この北部諸島にあるパガン島や、ロタ島にも海軍部隊がおり、日本軍の飛行場がありましたが敵上陸作戦からは外されました。上陸を受けたのはグアム、サイパン、テニアンの三つの島です。米軍にはこれで必要十分だったのだと思います。

 

 

最後に、昨年わが家が観光旅行に出かけた奄美群島は、先の大戦後、沖縄や小笠原とともに、米国の信託統治下に置かれました。信託統治では、自治権も制限されますから国連公認の植民地みたいなものだったとの理解です。

 

しかし、奄美は沖縄と異なり(もとが薩摩藩だったからか)、先に日本に返還されました。1953年のことで、昨年は復帰70周年の催しもあったそうです。これも島の人たちから聞いて初めて知りました。良きにつけ悪しきにつけ、犬も歩けば棒に当たる。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

うちから見た初日の出

 

 

 

ついでに初日の入り  (2024年元日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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