ここしばらく、連合艦隊等の「あ号作戦」の準備状況を、戦史叢書(12)などで確認してきた。今回からの基地航空部隊の作戦準備をもって一区切りし、そのあと陸軍の準備状況に移る。これからマリアナ諸島を守る陸兵を大勢送り出さねばならない。

 

サイパンに司令部が進出した中部太平洋方面艦隊の話題から始める。新設されたばかりの中部太平洋方面艦隊には、二二航戦と二六航戦を擁する第十四航空艦隊があった(南雲司令長官の直率)。ちなみに中国語で直率とは、率直という意味らしい。

 

 

これら在地の部隊がマリアナ空襲で大きな被害を受けたうえ、昭和十九年(1944年)5月の「あ号作戦準備」において、戦力の集中という、前回の潜水艦部隊と同様の編成替えの企画があり、こちらは実際に大きく動いた。

 

司令部の所在地でいうと、二二航戦と二六航戦はサイパンの中部太平洋方面艦隊を離れ、テニアンの第一航空艦隊の隷下になった。空戦の主力を連合艦隊に吸収され、南雲中将に残されたのは第十四航空艦隊の司令部および付属航空機隊のみとなった。

 

 

ではサイパンの主戦力は他に何が残ったのかというと、まもなく題材にする新設陸軍部隊の第三十一軍。しかし戦史叢書によると、あ号作戦の計画書には南雲部隊に関する資料がないと書かれており、これ以上は詳細不明なのだ。

 

一方で、引き受けた側の第一航空艦隊も、トラック、マリアナ、パラオの空襲や、ホーランジアの戦い等で消耗が激しい。角田司令長官とともにテニアンに進出した第六一航空戦隊も、マリアナ所在の二三航戦、二五航戦も気息奄々の様子となっている。

 

 

このため、中央では5月4日に軍令部総長が現状及び対策案を奏上し、組織改編に着手した。角田航空部隊と小沢機動艦隊が、来るべき艦隊決戦の飛車角だ。とはいえ追加投入の期待がかかる六二艦戦は、内地での訓練の日が浅く8月までは実戦に使えない。

 

第一航空艦隊の主力は、四つの航空戦隊。先ず上記のとおり中部太平洋方面艦隊から引き抜いた二二および二六航戦。二五航戦は解体して、二二航戦に吸収。所在の二三航戦と併せ、各部隊を従来の指揮命令系統から外し、第一航空艦隊の隷下とする。最後に角田長官直率だった六一航戦は一航艦にとどまるが、独立の司令部を置いた。

 

 

独立とはつまり、角田長官の直率から離れ、新たに司令部を置いた。この結果、第一航空艦隊司令部は、四コ戦隊の集中司令塔に特化することになった。第六一航空戦隊の新司令官は小野敬三少将。ここまではよい。だが5月16日にペリリューに進出したとある。マリアナではないのか。

 

ここで戦史叢書にある軍隊区分を見る。かつて南東方面で建制の第八艦隊が、戦時編成においては連合艦隊から内南洋艦隊と命名されたのと同じだろうと思うが、第一航空艦隊は、あ号作戦の区分において「第五基地航空部隊」とされている。

 

 

この区分図に主力の第六一航空戦隊が筆頭に置かれているのだが、極めて不可解なことに、六一航戦の「半兵力」は、引き続き第一航空艦隊の指揮下でマリアナに置かれている。もう一方の半兵力は、六一航戦の指揮下に置かれ、「在西カロリン兵力」。

 

司令長官はテニアン、司令官はペリリューにいる。何だ、これは。兵力を集中し、指揮命令を明確、有効にするならば大いに結構だが、パラオとマリアナに半分ずつ置くのだという。以上、わざとややこしく書いているのではなく、これでも長い奏上文を整理しようと頑張っている。

 

 

では、なぜパラオとマリアナに、新編の第六一航戦を半分ずつ分けて配置するのか。これについて戦史叢書は、次のように説明している。

 

右基地航空部隊の「あ」号作戦要領は、連合艦隊の「あ」号作戦計画に基づいており、既述の同作戦計画で検討した事項がそのまま問題点となっている。

 

例えば決戦海面を西カロリンに予定しているため同方面への来攻又は来襲に関しては詳細に方針等を示しているが、マリアナ方面に関しては簡単に述べているにすぎない。

 

 

かつてこの海軍の作戦計画について、伊藤正德が虫の良い作戦だと書いていたのを引用した。こちらの期待通りの場所に敵艦隊が攻めて来れば、いい勝負ができるというような意味だと理解している。東郷さんにあやかったか。「敵が対馬に来るといえば来る」。好意的に解釈すれば、敵を知り己を知った上の判断であった。

 

では後輩の連合艦隊司令部はどうか。既に敵は各地に同時並行で神出鬼没の進攻を見せている以上、自軍に好都合の西カロリン(パラオ方面)に来るという前提は、作戦というより神頼み。さらに言えば、一か所だけに来るとも限らない。

 

 

上記青字引用のうち、マリアナに関しては簡単に述べているに過ぎないというのは、マリアナは海軍任せという印象を陸軍が持っていた、という参謀本部の姿勢と平仄が合う。本当に簡単な記述だけなので是非お読み頂き度。

 

 

 

また前段で同時並行と書いたのは、見てきたとおり典型例はマッカーサー軍とニミッツ軍の進路と速度のことで、ラエ・サラモアの戦いとギルバート諸島の攻略、あるいはパラオ空襲とホーランジア・アイタペへの上陸という調子で進んでいる。

 

このあともビアク島上陸、マリアナ沖海戦、サイパン上陸は、ほぼ同時期に起きた。パラオとマリアナに分散配置された基地航空部隊の主力は、いずれも敵空襲で大打撃を受け、決戦海上で敵を挟み撃ちにするどころではなかった。

 

 

戦史叢書より機数を幾つか拾う。「あ号作戦計画」における基地航空機の「定員」は1,750機。他方、4月26日の段階で既に、実際の整備目標は5月下旬の予想として、定員半数未満の875機。6月5日の実数は、その後の被害と生産・進出の遅れで530機。

 

渾作戦からマリアナ沖海戦のころ、欧州戦線ではノルマンディ作戦が同時期に行われている。後から見れば何とでも言えるので言うが、もう決着は見えてきていた。米軍の総攻撃は、欧州に後顧の憂いなしという連合軍側の余裕から来ていると思う。

 

 

決意の海軍に厳しすぎないかというご意見もあるかもしれないが、本ブログではこれから、その決意もないまま伯父を放り出すかのように死地に向かわしめた帝国陸軍に対して、これどころではない弾劾と断罪を行う。

 

それはまだ先のこととして、では仮に作戦計画がお粗末であっても、底力のある第一線が敢闘すれば勝つことだってあるだろう。戦史叢書の続きには、航空機数や搭乗員の練度についての記載があるので、次回はそちらを確認する。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

タヌキに会う。  (2023年6月16日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

最近は上空が騒々しいと島の人  クロサギ  7月7日

 

 

 

 

 

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