再登場 横須賀の戦艦「陸奥」の主砲

 

 

前回の続き。引渡しに来たゲリラたちは、根が陽気なのか、「湖畔の宿」に引き続き日本の民謡や童謡を歌い出した。しかし日本側は最後まで気を抜けない。そもそも敵地内であるし、海軍中将一行を生還させなければならない。一部引用。

 

松浦たちはなごやかな空気を乱すまいと笑顔を向けていた。すさんだ戦場でふいに空白状態が産まれたような、人間同士の感情の交流だった。が、大西大隊の各隊は、集中砲火を浴びせようと砲と銃をその一点に向けていたし、また丘の稜線には五メートル間隔でゲリラ兵が自動小銃の銃口を向けていた。

 

 

副官松浦中尉は、亀沢少尉に海軍一行の収容を命じた。歩行困難の三名を担架に移し、その後ろに歩行可能な海軍軍人が並び、下士官を要所要所につけて、松浦・亀沢の両尉官が最後尾につき一列となり、マンゴー樹を離れた。

 

そのときにゲリラの一人が、「ニッポン、フィリピン、友達、ノー・ポンポン、ノー・ポンポン」と叫んだらしい。本ブログでは「ポンポン」を「ドンパチ」と物騒に表現している。

 

 

ゲリラには「かくなるうえは死ぬべし」というような突撃精神はないのだろう。逃げるが勝ち、生きていて何ぼ。丘を下りはじめたところで、松浦が振り向くと「ゲリラ兵がしきりに手を振っているのが見えた」。うしろにセブの空も色も見えたか。

 

小隊はクッシングの条件にあった退路を進み、大隊の位置を悟られないように第二中隊の位置に赴いた。陸軍はここで一息ついただろうが、海軍はそうはいかない。くたびれ果てて喜ぶ気力もなかったようだし、特に士官はこのあとのことを考えると、まだ「救かった」とは思えなかっただろう。

 

 

大隊長大西中佐が、脇淵銃砲隊長とともにお迎えにきた。大西は挙手の礼をとり、参謀長に「おつかれでございましょう」と声をかけた。中将は無言でうなずいた、というから余ほどの疲労心労だ。

 

大隊長は部下に参謀長一行に、最高の令を尽くすように命じた。着替え、飲食、酒に煙草、洗顔用の水と石鹸。そして近くの人家に案内した。解放された九名は、そこに敷き並べてあった寝具に横たわった。

 

 

その間に大西大隊長が、山本作戦参謀から聞いた話では、ゲリラ司令官クッシング中佐は、「四歳の男児の死を恐れて包囲網を解いてもらうことを欲した」のだという。家族思いは結構だが、家族の住まいが戦場にあるということに鈍感な人たちもいる。

 

中国大陸の士官らも家族連れが多かった。これが引揚のときに無数の惨劇を生む。旅順要塞のステッセルも、かみさん同伴だった。バルチック艦隊の病院船アリョールには、提督ロジェストウェンスキーの姪が乗っていた。この話は長くなるので、文末に昔のブログ記事をご案内する。

 

 

上掲写真の裏側

 

 

大西大隊長は、まだまだ忙しい。上官の旅団長に無事救出の速報を電信で打たせた。この報告は旅団から、セブ駐在の海軍第三十一警備隊セブ派遣隊に転送され、さらに上位の第三南遣艦隊の司令部に送られた。

 

この艦隊からの返信は、まず将軍を返還せよ、続いて適切なる時機に他の全員ならびに書類を返還するように、という内容のものだった。生存確認ができた途端、機密書類に不安の焦点が移り、書類を探し出して送れと言って来た。

 

 

翌4月21日、亀沢小隊は中将一行を護衛し、ピトスという町まで送り届けた。動けるまでには回復したらしい。この時点で、九名全員の収容完了の報が、セブから第三南遣艦隊経由、中央の軍令部に伝わった。

 

第三南遣艦隊から派遣された参謀山本繁一少佐は、トラックでピトスに向かい、福留中将を亀沢長隊から受け継ぎ、セブ市に戻り、13日午前三時に水交者に到着。もしも治療のためだけならば、彼一人運ぶということはあるまい。

 

 

大西大隊長は功労者である一方、陸軍内の攻撃命令に反している。このため松浦副官とともに、セブ市にある旅団司令部に行き、旅団長に会った。絶好の勝機を逸したのだから懲戒も仕方がない。

 

大西は、旅団長の部屋に入ると、「責任をとらせていただきます」と、言った。しかし旅団長河野毅少将は、「海軍が非常に喜んでいたぞ」と言っただけで、責任を追及することもしなかった。

 

その後大西中佐は、旅団参謀渡辺英海中佐から、富留美中将又は花園中将が連合艦隊参謀長福留繁中将であることを知らされたが、口外はかたく禁じられた。大西はその約束を守ったので、大西大隊ではかれをのぞく全員が、終戦後まで福留参謀長を救出したことに気づいていなかった。

 

補足すると、乙事件そのものが殆ど全く公表されず、古賀峯一司令長官の移動中の殉職と後任人事のみ大本営発表されたものの、その際も福留参謀長の遭難は公表されなかった。大本営は誇張や潤色だけではなく、隠蔽もうまい。そのまま隠し通した。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

三笠艦上 (2023年4月1日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アカガシラサギ  葛西臨海公園 6月5日

 

 

 

 

 

 

 

 

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