前回の続き。海軍乙事件の二番機機長だった岡村松太郎海軍中尉は、乙事件のあとに戦死している。このため、大西精一陸軍中佐と機長の面談の様子は、吉村昭が戦後、大西氏から聴き取りしたものだと思う。

 

岡村中尉は一通の手紙を差し出した。「大西大隊長は、手紙をひらくことをためらった」とあるから、封書だったのだろう。宛先は上官の河野旅団長と、セブ島陸軍連絡官浅間少将になっている。部下が勝手に開けてよいものではない。

 

 

それでも開けた。差出人はゲリラ隊長のクッシング米陸軍中佐。敵味方の指揮官同士のやりとりが始まろうとしている。大隊長が今から始めんとしている攻撃に関わる可能性があるのだ。手紙を翻訳したのは連合艦隊の山本祐二参謀だったらしい。

 

 

河野閣下

浅間閣下

 一  私は、不時着した日本海軍機に乗っていた花園少将以下九名の海軍軍人を保

    護している。

 二  日本軍は、セブ島南部で一般住民を虐待しているが、それを取り締まるよう   

    厳命してほしい。

ゲリラ司令官 ジェームス・M・司令官

 

 

大西大隊長はさぞかし驚いたに相違ない。不時着も海軍高官の話も聞いていない。それにセブ島南部で掃討作戦を終えたばかりなのは我が部隊だ。彼は、敵司令官が自分の上官に対し、自分を取り締まってくれと要請する書簡を手にしたことになる。

 

手紙の内容は一行目が状況を伝え、二行目が頼み事だが、脅迫状に不可欠の「断れば人質の命はない」というような表現はない。松田海軍中尉に訊くと、拘禁されている場所は大隊の現所在地の近く。現地民に捕らえられ十日間、歩かされた。

 

 

機長はこの日、夜明け近くに銃砲声を聞いた。大西大隊の先制攻撃だろう。クッシングが日本人を拘束している家に入ってきて、岡村中尉と奥泉文三一整曹に対し、日章旗を手に手紙を持参して、日本軍陣地へ向かう使者となるよう指示した。

 

岡村によるとクッシングは妻子と共に包囲されて動揺している様子。彼は二人より一人の方が安全と判断し、奥泉整曹を置いてきた。大西は「即座に富留美中将一行の救出に全力を傾けるべきだと思った」。

 

 

  

コサギ アオサギ

 

 

大西は岡村に、わが部隊が攻撃を開始した場合、一行を救出し得る可能性はあるかと問うた。岡村は、きっぱりとした口調で、「全員が殺されることは間違いないと思います」と答えた。

 

大隊長は二つ、手を打った。まず上官の旅団長に、電信で書簡の内容を伝え、「如何にすべきや、返電待つ」と要望した。次に中隊長一同を集合させ、銃砲隊長や副官も交えて意見交換を行った。

 

部下はそろって攻撃開始を主張している。ようやくここまで追い詰めたのだ。次にこれほどの好機が再来するかどうか分からない。何より旅団命令が出ている掃討戦だ。同時に彼らも、海軍将官らを死に追いやるという結末はつらい。以下引用。

 

 

大西大隊長は、決断を下した。富留美中将一行を失うことは、今後の日本海軍の作戦指導に重大な支障になる。攻撃は第二義的に考え、まず救出に全力を注ぐべきだと各中隊長に説いた。そして「責任はすべておれがとる」と、かれは言った。

 

その協議を無言で聞いていた岡村は、「念のため申し上げておきますが、富留美中将は、陸軍部隊の意志通りに行動していただいても異存はないと申しておられました。中将も山本中佐も、連行途中自決を考えたことが何度もあり、私にゲリラから拳銃を奪えと命じたこともありました。貴部隊のよろしいようにしてください」と言った。

 

 

旅団からの返信がない。旅団長も、海軍から何も知らされておらず、即答のしようがなかったのか。大西精一中佐は、この時点から、陸軍の軍律の違反者になる。一刻の猶予もならないと判断し、クッシングに強気の返事を書くことにした。

 

岡村機長はそれを持って一旦ゲリラ本部に戻り、クッシングを説得し回答を得て、また戻ってこなければならない。ここは戦場だ。人が動けば敵味方かまわず撃たれるかもしれない。誰が人選したのか知らないが奏功し、岡村は大役を果たす。

 

 

(つづく)

 

 

 

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