かなり前にも書いたように、作家の吉村昭が生まれ育った家は拙宅の近所、JRと京成の日暮里駅のそばにあった由。前から彼の作品は読んでいたものの、知っていて越してきたのではないが、近くの図書館に彼のコーナーがあるのが有難い。

 

そこには作品だけではなく、著作のために集めた「〇〇村史」のようなものも含め、ごく一部だろうが膨大な量の文献が保管されている。その吉村がどこかで、自分が組み立てた話の筋や人物像に沿わない資料は捨てる、と明言していたのが印象的だ。

 

 

藤沢周平「白き甕 小説長塚節」が吉川英治文学賞を受賞したとき、選考委員の吉村昭氏は、「資料の豊かさと検証の正しさ厳しさが力余って、小説としての伸びに問題が生じてもいよう」というふうに評した旨、「白き甕」文庫本の解説にある。

 

確かにこの藤沢作品には「主な参考文献」だけで、ぎっしり二ページも記載がある。資料はもっと絞ってシャープに書くべしという主張であるらしい。吉村昭の作風は、作品中に著者がよく登場する司馬遼太郎とは異なり、よりドキュメンタリーに近い。

 

 

私蔵の単行本、吉村昭「海軍乙事件」(文藝春秋)には、複数の中短編が収録されているが、最後に「『海軍乙事件』調査メモ」が置かれている。一般の小説の「あとがき」を独立させたようなもので、それによると参考文献は三つしかない。

 

「昭和四十七年秋に左の資料募集から手をつけた」という箇所の最初に、「乙事件関係記録(昭十九・三・三一GF長官機等遭難)」がある。これは戦史叢書も参照しているもので、その「注」には「当時の海軍省主席副官横山一郎大佐が手記したもの」、厚生省保管となっている。

 

 

二つ目は「中澤メモ」。先回も登場した当時の軍令部第一部長中澤佑少将が残した「戦況」という名の覚書。最後の三つ目は、英語の文献で終戦後発表されたアメリカ陸軍大佐の著作。これについては、長くなりそうなので別途、記事にする。

 

文献紹介よりも、それに続く証言者の紹介、面会あるいは手紙の交換などの連絡の際に感じたことや御礼が長い。最初に調べたのは、二番機の飛行艇搭乗員の行方で、お二方が存命であることが分かった。

 

 

 

 

 

このお二人は、前々回の貼付資料では名字だけが戦史叢書に載っていた、吉津正利・今西善久の両一飛曹。吉津氏は玉名温泉で旅館経営、今西氏は焼津在住で定年直前の航空自衛隊一等空尉と、力強く戦後を生きていた。それぞれ乙事件に関し、飛行中、不時着時、ゲリラに囚われたとき、救出の際の話などをしてくれた。

 

彼らの救出に直接従事したのは、当のゲリラの掃討作戦にあたっていたセブ島陸軍の大西大隊だった。その大隊に所属し、ゲリラから参謀長一行を引き取るという困難な任務を無事果たした松浦秀夫中尉、淵脇政治中尉、亀沢久芳少尉と会った。

 

 

中でも、亀沢氏は当時小隊長で、大西大隊長から引渡しの現場に行く大役を任された士官だった。「氏の証言は劇的で、私は緊迫した情景を思いえがき、同時にセブ島の空の色、草木の匂いを感じた」と記している。

 

二番機はセブ島にあった小野田セメントの電灯を、セブ島の街の灯と勘違いし、その手前の海に落ちた。谷川整長が泳いで会った中の一人が、工場で勤務中だった同社員の尾崎治郎氏。さぞかしびっくりしたであろう同氏の証言も得ている。

 

 

あとは大物が三名。元軍令部第一部長の中澤佑氏は、「旧海軍の栄光よりも歴史的事実の正確さを尊重する氏のゆるぎない姿勢」にさわやかな共感をいだいた。その中澤氏が「人格見識共に見事な武人ときいている」と語った大西隊長にも会えた。

 

大西精一大隊長は、戦闘行動図を描きながら時間の経過を正しく示しながら語った。「救出した参謀長に敬意をいだき、その同行者に深い同情をしめしながら話されるのが、私の耳には実に快かった」と、これまた旅して会って良かった人ばかり。

 

 

最後に、終戦時連合艦隊の参謀だった千早正隆氏が出てくる。「機密図書類に関する貴重な証言を得た」。以上が面談相手の関係者として紹介されているほか、手紙をくれた人、飛行艇についてのご教示を得た人たちも名を連ねている。

 

これらの証言をノートやカセットテープに記録して、吉村は昭和四十九年に「海軍乙事件」を別冊文藝春秋に寄せた。このころ焼津に取材に来ているということは、隣の静岡に中学生だった私がいたことになる。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

カタクリの花  (2023年3月19日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

  

大きな鼓膜からするとウシガエル。

黒いのは初めて見る。 4月9日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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