引き続き海軍の戦史叢書(71)より。一番機と二番機に搭乗した人たちの氏名、職掌などは次のとおり。個々人の名は全て書き入れるものではないが、機会があればできるだけ記録する。

 

インターネットは検索の利器なり。知らずにいた子孫の目に留まるやもしれず、それにこのブログは慰霊碑のようなものなのだ。アメブロが潰れませんように。戦史叢書より、そのまま転記する。古賀長官は苗字のみ。

 

 

一番機(八五一空 機長 難波正忠大尉) 古賀長官、艦隊機関長上野権太大佐、首席参謀柳澤蔵之助大佐、航空甲参謀内藤雄中佐、航海参謀大槻俊一中佐、副官山口肇中佐、柿原饒軍医少佐、暗号長神宮等大尉

 

二番機(八〇二空 機長 岡村松太郎中尉) 参謀長福留繁中将、艦隊軍医大久保信医大佐、艦隊主計長宮本正光主少佐、作戦参謀山本祐二中佐、機関参謀奥本善行中佐、水雷参謀小池伊逸中佐、航空乙参謀小牧一郎少佐、気象長島村信政中佐、その他三名

 

 

上記のうち、二番機の艦隊軍医は大久保誠「軍医大佐」だと思う。山本二参謀は、軍令部時代にトラックに出張し、もうこれ以上、ガダルカナルへの輸送に駆逐艦は使えないという海軍の方針を伝える役になっていた。戦艦「大和」とともに沈む。

 

また「その他三名」も気になるが、ここではどうしようもない。前回の戦史叢書(6)は「その他」だけ。その三名は生き残ったはずなのだが、飛行艇の搭乗員なので氏名が記録されていないらしい。そもそも、一番機にも「その他」がいたはずだ。

 

 

喧嘩を売っている場合ではないので、先に進む。