これからテーマはマリアナ空襲に移る。今回は海軍の戦史叢書(6)を参照し、まず昭和十九年(1944年)2月17・18日のトラック空襲が、中央に与えた影響から始める。掲題の2月19日の会議は、空襲の直後に大本営の陸海が開催したものだ。

 

戦史叢書は当該箇所の冒頭、「トラック空襲とその被害の報告は、陸海軍中央部に深刻な被害を与えた」と記している。まず、海軍中央の動きとして、ラバウルの全航空機をトラックに移した。ラバウル航空隊の歴史は幕を閉じた。

 

 

さらに、陸軍に対し、南鳥島やマリアナの戦備を急ぎ、比島の第十四軍、濠北の第二軍に対しても、同じく戦備を急ぐよう要請した。比国と濠北は、すでに海軍にも伝わっている虎号兵棋において、昭和二十一年に大攻勢を行う拠点。繰り上げを頼んだ。

 

陸軍はこの要請を受け、上記両軍および南東方面の第八方面軍の参謀長等あてに、早くも17日に電報を発し、トラック急襲を速報し、海軍の上掲要請事項を伝達した。

 

そしてこれが陸軍にも重要なのだろうが、海軍は南西方面の航空機もトラックに多くを移し、また、陸軍も濠北・南方の輸送能力が、中部太平洋優先の影響を受けるので「諒承あり度」。翌月開始のインパール作戦は、こういう戦況判断下で始まった。

 

 

先述した大本営陸軍部の秦次長以下、ラバウル出張団は、トラックで大空襲を実体験し、ラバウル行きを取りやめての岐路、経由したサイパンにおいて、前回登場の第二十九師団の作戦参謀、武田英之中佐から、こう聞かされた。

 

「サイパンは殆ど無防備状態」であり、マリアナ四島(サイパン、グアム、テニアン、ロタだろう)を守るためには、最小限二コ師団を要する。伯父と寺本家の運命はこうして決まってゆく。この時点でサイパンがほとんど無防備というのも酷い。実態は追い追い確かめる。

 

 

アカハラ

 

 

これまでトラックは絶対国防圏の本拠地と位置付けられてきたが、陸軍もその発想の見直しの機会となった。参謀本部の眞田第一部長は今後、「小笠原、マリアナ、パラオの線を確保する決心の必要があり、更にまたこの線への戦力展開が精いっぱいであろうと判断した」。

 

掲題の陸海軍作戦関係者による2月19日の会議は、東カロリンのトラックが空襲されたのを受け、「急遽、マリアナ、カロリンを中心とする絶対国防圏の必要性と防御強化の可能性について検討」するために開催された。

 

 

その結論から先に引用すると、「結局、太平洋方面の海軍戦略の必要性から、トラックもマリアナ地区も、是非確保する必要がある」と戦史叢書が要約している。ただし、陸海で今後の敵軍の攻勢に関し見解が異なる。

 

海軍は「今やトラック地区が彼我の遭遇戦場に変った」という判断であり、陸軍は「パラオ、メレヨン、グアムの線に直接突き上げてくる公算のほうが大きいのではないか」。

 

メレヨンは、カロリンにある環礁の名で、敵襲もないが補給もなく、終戦までに多くが餓死し、生還したのは4人に一人。しかも将校がほとんど生き残ったということで、戦後、大問題になり、司令部の幹部が二人、自決している。

 

 

参加者の発言概要が多数、紹介されているが、筆頭は海軍の源田実参謀。この地区(文脈からしてトラックとマリアナだろう)の飛行場施設は、マーシャルやラバウルよりも劣っている。そして必要機数の航空機を配備するのにも日数を要する。

 

かといってトラックを失うと、マーシャル方面への反撃もできなくなり、敵潜水艦の基地となると大変なことになる。そして戦場は一気に比国へと移るだろう。こういう論調で、トラック確保の重要性を説いた。

 

 

陸軍の論客のうち、作戦班長の高瀬啓治参謀の意見が、私にはしっくり来る。絶対国防圏の障壁の強度は、旧蘭印や濠北とくらべ、「太平洋方面は非常にもろい」。

 

多面的に大きな第二線、第三線を確保しておかないと、「濾過して中に入ってくると思われる」。きっと海軍には、トラックだけ強化すれば良しというものではないぞと聞こえただろう。金子兜太がどこかに書いていたが、今や基地は空中に移ったのだ。

 

 

この会議の議事概要の最後に、「注」として、源田参謀が「トラック、ポナペ、ウォッゼ、ナウル、オーシャン、ラバウルの各飛行場から挺身して、クェゼリンの米艦隊主力を奇襲する」という構想を提案したと戦史叢書にある。

 

この構想は「雄作戦」と命名され、軍令部内でも連合艦隊との間でも、ある程度、検討が具体的に進んでいたらしい。しかし、海軍乙事件の発生により、機会を失い実現することはなかった。ともあれ源田参謀の危機感の表明どおり、海軍はトラックとマリアナの航空戦力の強化を進める。

 

 

 

【追記】

 

間もなく本ブログでは、海軍乙事件の関連記事が始まります。下書きも書き終えております。自衛隊のヘリコプター事故があったばかりなので、この種の投稿は不謹慎ではないかと感じる方がおられるかもしれません。

 

さはさりながら乙事件も含め、もう伯父の戦争と直接、関連することばかりの時期に入っており、題材の順序も考えながら進めておりますところ、このまま続けますのでご了承ください。一刻も早くご搭乗の皆様が見つかりますようお祈り申し上げます。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

ユキヤナギ  (2023年3月11日撮影)

 

 

 

 

 

新緑 4月10日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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