シメ
海軍の戦史叢書(12)より。トラック空襲の急報を受け、古賀連合艦隊司令長官は、早くも当日の昭和十九年(1944年)2月17日に、南東方面航空部隊(ラバウル等)の全機、また、南西方面航空部隊の大部を、トラックの内南洋部隊に編入した。
また、この時点ではまだ育成途中であった第一航空艦隊のうち、練度の高い第六十一航空戦隊をマリアナに派遣した。トラック基地が破壊され、次はマリアナに敵が来るという想定のもと、航空戦力の集結と投入を図った。マリアナ空襲で裏目に出る。
一方で、トラック空襲二日目の2月18日には、マーシャル諸島ブラウン環礁(エニウェトク)も陥落し、戦史叢書(62)は、「中部太平洋方面の邀撃作戦は、全て失敗に終わったのである」と記して終章を閉じている。
この事態について、戦史叢書(12)「マリアナ沖海戦」は、大本営が受けた衝撃について、具体例を挙げて解説している。本日の題名、「マリアナ放棄論」は、軍政を含む政府から出た。まずは、その箇所の冒頭部分を引用する。
トラック空襲は、米艦隊の西方突進により、わがマリアナ防備に時間的余裕がないこと及び莫大な船舶の被害等が、わが政府、大本営に与えた衝撃は極めて大きく、特に政府ならびに陸軍省には、連合艦隊に対する不信の空気が強く、マリアナ放棄論さえ生ずるに至った。
この続きに、本ブログでは先に話題にした、軍部内で船舶やアルミの不足が大問題となっており、陸海軍の奪い合いが起き、挙句に陸海の大臣が総長を兼任するという方策でこれに対応した。
戦史叢書は「重要懸案が一気に解決」されたと書いているが、これは言うまでもなく中央での問題先送りに過ぎず、現場の重要懸案が解決されたわけではない。
上野寛永寺
これに続き、陸海軍要人の日誌などが雑多に出てくるのだが、自分なりに整理する。陸軍では、次にマリアナが機能不全に陥ったとき、本土防衛と比国決戦に向けた戦力の強化が深刻な課題になった。
このため、その手前のマリアナ・西カロリン(パラオなど)で敵軍の突進を食い止めるとしつつ(「絶対防衛戦」と呼んでいる)、今なおトラックの強化(ラバウル航空隊のトラック移設など)を目指す海軍の方針については検討を要すると主張した。
三か月の期間をかけて、機動部隊の再建に努めるという海軍の方針に関しては後の回の題材とするが、現実には、第一航空艦隊(基地航空部隊)をテニアンに先行して進出させ始め、その矢先に2月23日の米軍マリアナ空襲に巻き込まれる。
マリアナ放棄論は、主として陸軍省から出た。佐藤軍務局長は、貴重な航空戦力と輸送船を温存集中させるにあたり、マリアナ諸島には飛行場が七つしかないため不適であり、「比島ならばこの作戦が可能である」という意見だった。
軍事課長西浦進大佐は、海軍に期待できないので陸軍だけで本土を守ると述べ、「すなわち従来、前方から固めて失敗しているので、今度は後方から固めてゆくという考え」を示した。これは、かねがね東條大臣の持論だった。以上、軍政の主張である。
一方の軍令(参謀本部)は、マリアナの防衛戦を突破されてはならないという点で海軍と意見は概ね一致している。ただし、実質的に船舶問題が未解決であることから(むしろ悪化しているだろう)、次のように整理した。整理したはずだった。
陸軍部隊の輸送に関しては、一船一船みずから指導し、状況により不可能とみれば、直ちにマリアナ、カロリン諸島方面の派兵を打ち切る考えであったことは当時の大本営参謀瀬島少佐及び西浦陸軍省軍事課長の一致した回想である。
「状況により不可能」というのは、どの程度の状況下を指すのか。ずっと前に書いたことだが今一度、伯父の二度目の出征について概略を記す。この年の5月末に本土を出発し、陸軍が「みずから指導」する三隻の輸送船に分乗しサイパンに向かった。
この陸軍輸送船三隻は全て敵潜水艦に沈められ、伯父の連隊のうち生き残ったのは500名と戦史叢書にある。しかも兵器と糧秣は全て失い、当面、戦力にならないという状態で、米軍の来襲に遭った。詳しくは改めて勉強しながら書き進める。
今回は最後に念のため、上掲青字引用の文中にある「政府ならびに陸軍省には、連合艦隊に対する不信の空気が強く」という箇所の意味を考える。強い不信感を抱いた相手は海軍全体でもなく、軍令部でもなく、連合艦隊だったとある。
先述のとおり、敵が次にどこへ出没するか分からない状況下で、軍令部は連合艦隊にトラック環礁に停泊し続けず、絶対国防圏内の要地に随時、行動するよう方針転換を迫っていたが、連合艦隊はトラック空襲直前まで、マーシャル方面の決戦に拘った。
挙句の果てに、と大本営には思えたのだろう。特に陸軍は本土防衛の責任があると言っても、空からの攻撃への守備には限界がある。マーシャルで敵を撃滅してくれれば別だが、逆にトラックを敵に奪われるおそれが出てきた。敵の大前線基地になってしまう。特に、潜水艦基地にされたら一大事とだいう趣旨の懸念が戦史叢書にもある。
しかも、トラック空襲では輸送船と航空機の損害大であった。陸軍中央から見れば、対米戦は連合艦隊に期待するところ大だったが故に、その反動で「何をしている」という「強い空気」になったものか。空気は、感情論と無縁ではない。ここでは決めつけず、今後の展開に影響がどう出たかを見てゆくことにする。
(おわり)
不忍池の春 (2023年3月5日撮影)
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