前回に引き続き、しばらくの間、二木光仁氏著「部隊壊滅!!西部ニューブリテン島 ー佐藤支隊長と父母恩重教ー」、(以下、「前掲二木書」と表す)を参照する。著者が所属していた佐藤支隊の主力は、捜索第五十一連隊であった。
捜索連隊という言葉は初めて聞いた。そこで前掲二木書の実例をもとに、どのような機能、構成だったのかを見る。最初に、通番で分かるように、同連隊は宇都宮の第五十一師団の隷下にあった。五十一師は大東亜開戦前に、満州に派遣されている。
そのあと南支に移り、本書によると広州の東のほうに転進したのち、突然、南東方面への進出命令が出た。その件に関しては前に詳しめに書いたので、ここでは簡単にいうと、最初はガダルカナル島に増派される予定で、第十七軍の隷下となった。
戦況の悪化により、ガダルカナルは撤退と決まり、五十一師は第十七軍から離れ、ニューギニアの第十八軍に転籍となった。このあと、ダンピールの悲劇、サラワケット越え、シオ方面の中野集団による行軍と続く。当時の師団長は中野英光中将。
捜索五十一連隊が創設されたのは、昭和十五年(1940年)7月だそうで、ノモンハンの次の夏。陸軍がソ連相手の「関特演」をやっていたころお招きがあったわけだ。うちの伯父は第一回の出征中で、蒙古国境に近い大同にいる。モンゴルと戦ったのは、元寇とノモンハンだけだろう。いずれも相手の地に土足で踏み込んだ方が負けた。
ラバウルに進出したときには、連隊長が二代目の佐藤次郎大佐になっている。その構成は歩兵連隊の標準と大きく異なっており、司令部および五個中隊からなる。連隊司令部は著者がいる通信班のほかに、指揮班、行李班、対空班など。
五個中隊のうち、第一中隊が乗馬中隊。第二・第三が「車両で行動する歩兵中隊」。第四が軽装甲車。第五が車両中隊。陸上の機動部隊と考えて差し支えあるまい。そうであれば乗馬中隊は、運搬用の軍馬ではなく、騎兵隊だろう。
それにしても、いかにもユーラシア大陸仕様ではあるまいか。南東方面の密林と湿地帯に運んでどうするのか熟慮したのだろうか。ともかく、昭和十七年(1942年)、ラバウルに着いて最初に担った軍事行動の一つは、道路工事と飛行場造りであった。
ニューブリテン島北端のラバウルは主に日本海軍の基地であり、同地の陸軍は少し南のココポをよく使っている。水木しげる「総員玉砕せよ!!」の序盤に慰安婦と合唱する場面があるが、あれはラバウルではなくココポ。そう書いてある。
そこに慰安所があることは、同所を視察したと、宇垣連合艦隊参謀長の「戦藻録」にもあったと思う。その宇垣参謀長の強い申し入れにより、陸軍も南東方面に航空部隊を派遣することになった。時期はガダルカナルの戦いの終盤。
車両で行動する歩兵中隊の第二と第三が、12月下旬にココポで陸軍飛行場の造成を担当し、司令部通信班の著者もこれに参加した。スコールと敵機空襲が激しい。早く陸軍の航空部隊に来てもらいたい。
造成の指揮は、先んじて現地入りしていた第六航空師団の司令部が行った。これから、白城子教導飛行団の「九九式双軽」(Lilyです)が進出してくるのだが、この部隊を「展開させる適当な飛行場がない」ので、急いで作っている。
工事は基本的に兵の手作業で、これに加え豪州から押収した作業機械を、捕虜のインド兵に運転させた。年が明けて元日には、酒や数の子が出た。同じ日に、ガダルカナルでは、金平糖が配られて感激している。航空部隊は1月下旬、無事到着した。
以下は放談。南東方面(確かラバウル)の資料のどれかに、陸軍航空隊員の手記があって、それによると陸軍機二機を海軍の艦載機乗りに貸し出したところ、あっというまに二機とも車輪を故障させてしまったという回想があった。
基地航空機は、おそらく私が乗るような旅客機と同様だと思うが、大きな車輪が二つ、機体の真ん中あたりにある。着陸時には、まずその二つで着陸の速度と衝撃を減殺して、次の補助の小さな車輪で三点を確保する。乗っていると、間をおいて二回の振動が伝わってきます。
されど、航空母艦の狭い滑走路に着艦するときは、そういう手間暇をかける余裕はないはずで、しかも失敗すると、ラフでは済まず即OBになる。相当な技術が必要なずで、加えて機体や艦上の設備も異なるらしい。航空機が好きな人に訊いてみた。
簡単に言ってしまうと、艦載機では車輪三つ、ほぼ同時に着地するから、これでは陸軍機の補助輪(なぜか前にある機種と、後ろにある機種がある)は、衝撃に耐えられないらしい。そういう話を聞きかじったので、実見することにした。
とはいえ近所に空母はおらんし、どこかで見せてもくれないだろうし、仕方がないので映画で確かめた。「トップガン マーヴェリック」。確かに、ファントムは聞いた話のように着艦している。今やオスプレイは、ヘリコプターの真似だ。
第一作を若いころ見た。トム・クルーズは同年代です。そのときから、つい最近まで、あの映画は飛行機乗りが出てくるのだから、米空軍が舞台だとばかり思っていたのに、このたび聞けば航空機は米海軍から、一日何百万円かで借りていたらしい。
この映画を私に勧めた家族によると、アメリカでは基地航空機は主に空軍、艦載機は主に海軍という担当区分であるらしい。自衛隊はどうなのだろう。ここから、話は更に脱線して、ストーリーの一部に触れる。
前半は、トム・クルーズがファントムでマッハ10に挑む。このプロジェクトは、上官が予算を中断し、かわりにドローンの開発計画に回すと宣告されて、事業関係者は沈み込んでしまう。みんな配置換えか、下手すればレイオフの国だ。
そこに登場してきた主人公が、地上勤務の若者たちのために、一肌脱ぐことになる。今やロシアとウクライナの空を、本当にドローンが飛んで、偵察や爆撃を行っている。効率最優先の経営判断としては、適切なのだろう。
これを観ていて思ったのだが、技術革新の時代という点で、先の大戦時の大艦巨砲主義の顛末が似ているように感じた。頭の中では、マーヴェリックも、もうドローンの時代が到来しつつあることは分かっている。
だが自分の職歴、昔の苦労、部下の将来、予算の奪い合いなどを考え始めると、海軍軍人に限った話ではなく、企業でも官庁でも同様だろうが、人の営みにも慣性の法則が働く。そういう一面があったかもしれないと思った次第です。
(おわり)
パンダ客で大変な混雑 (2022年12月26日撮影)
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