カワガラス

 

 

この暮れ正月も、新型コロナウイルス感染症のせいで、古里静岡に帰省できない。車がなくて新幹線を使うのも避けたいし、実家もご近所親戚も後期高齢者がそろっているため、東京者がウロウロするのはまずい。

 

静岡で編成された陸軍部隊のうち、このブログに出てきたのは、①明治以来の歩兵第三十四連隊、②支那事変が始まってできた第二百三十連隊、③大東亜戦争の終わりも近い時点でかき集められた第百十八連隊。

 

 

このうち、前回と今回は②の歩二三〇が題材になる。うちの伯父は①と③に所属した。今回の参考図書の編者は①と②で、後者の一員としてガダルカナル、ニューアイルランドに派遣された。参考文献は松本寅治氏編「目醒めたくない朝」。発行所は戦友会。

 

松本氏はガダルカナルの戦いの終盤、矢野大隊の第三中隊指揮班所属の准尉だった。矢野大隊はガダルカナル撤退作戦において、よれよれの友軍が無事撤収できるよう、盾となって敵軍を防ぐという恐ろしい任務を負ってラバウルから送られた。

 

 

矢野大隊は歩二三〇(長・東海林俊成大佐)の臨時編成大隊で、所属師団は三十八師だから、ズンゲンの成瀬大隊と少し立場が似ている。矢野桂二大隊長は後に第三大隊長になり、ニュージョージアの戦いに参戦する。

 

このときも、主力の第十三連隊がコロンバンガラに転戦するにあたり、ムンダ飛行場方面で上陸してきた敵軍と戦った。このあと、同じくムンダにいた歩二二九(岐阜)はラバウルに戻り、第一大隊基幹の支隊をズンゲンに送る。

 

 

一方、歩二三〇はラバウルから、順次、隣島のニューアイルランド島の守備に送られている。地図でみるとわかるが、ニューブリテン島の北端にあるラバウルから、ニューアイルランドの中央部・南部は、海峡をはさんですぐそばなのだ。

 

Wikipedia (パブリック・ドメイン)

 

 

Wikipediaで思い出した。「第38師団(日本軍)」の項目にある「最終所属部隊」には、現時点で歩二三〇がない。そのくせ、「歩兵第230連隊」の項目には、ニューアイルランド島で終戦を迎えたとある。寝ぼけてないか。

 

松本書によれば、軍旗奉焼は終戦を迎えた後に現地で行い、将兵の名簿は彼自身が帰国して政府に提出したというから、戦時中に消滅したわけではない。これでも分かるように、歩二三〇はニューアイルランドに渡ったままで終わった。

 

 

同島の北西端にあるカビエンが日本軍の中心基地。ここは昭和十七年(1942年)初頭に海軍が占領し、同時期に南海支隊が占領したラバウルとカビエンは、よいコンビであった。水上機の基地もあったし、海軍病院もあった。今やカビエンの陸軍はラバウルの盾。

 

この島に進出したのは翌十八年の10月のことで、第一大隊はラバウルに残し、連隊司令部および第二・第三大隊が同島中部東側(ラバウルの反対側)の海岸沿い各地の守備についた。このころから、補充兵の体格が目に見えて低下してきたとある。

 

 

  

昭和の鼓動...

 

 

内地の兵員不足は深刻であり、著者は戦争の行く末が心配になってきた。翌十九年(1944年)の3月には上記の歩二三〇の各拠点が、沖合の敵艦から艦砲射撃を受けるようになり、6月には食糧の補給が途絶えた。マラリアも厳しい。

 

海軍拠点のカビエンは、アドミラルティ諸島上陸作戦のころ、激しい空爆に見舞われたのは既述のとおり。他方の中央部の陸軍各拠点は、毎日定期便の哨戒機が来るだけで、とはいえ移る先もなく、農耕生活に明け暮けくれていた。

 

 

敵の偵察機が来なくなったと不審に思っていたところ、8月16日に終戦の報が伝わって来た。オーストラリア軍に武装解除され、戦車を始め兵器はすべて海に沈められた。今回は心安らかに新年を迎えるべく、ドンパチ騒動の場面がない話題を選んでいる。

 

ラバウルでの俘虜生活が始まった。豪軍の監督将校の一人は、「日本とアメリカが戦って我々のラバウル市街を破壊し、それを我々が再建しなければならない。こんな分からない話はない」と語っていたそうだ。そりゃそうだ。戦争は「分からない話」。理不尽、不条理。

 

 

復員船でラバウルを離れたのは、昭和二十一年(1946年)の3月。三年前、噴火して灰色だった西吹山が緑に覆われていた。著者の輸送船は名古屋港に到着し、全員、階級章を海に捨てて上陸した。

 

最後に、今回は端折ったが、本書に描かれているガダルカナルの戦いの状況は、悲惨の一語に尽きる。毎朝、敵機の空襲がある。そうでなくとも、飢餓で夜中に亡くなる戦友が多い。思えば、これまで目覚めたくない朝なんて、この人生には無かった。元旦も起きるぞ。みなさま良い年をお迎えください。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

上野不忍池のエナガ  (2022年12月22日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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