陸軍の戦史叢書(58)によると、連合軍の第112偵察連隊戦闘団を乗せた輸送船と、護衛の駆逐艦からなる輸送船団がアラウエ(マーカス岬)に向かっているのを発見したのは、上陸当日の昭和十八年(1943年)12月15日の早朝だった。

 

具体的には、先ずラバウルの海軍南東方面艦隊の水偵が午前一時半に、敵船団を発見し報告した。また、ウェワクの陸軍第四航空軍の司偵も、第八方面軍からの速報を受けて飛び、敵上陸作戦を確認した。しかし、これとは別に日本軍のほうが先に敵の意図に気付いていたのだと主張する証言がある。

 

 

この記録が詳細かつ達文なので、捨て置けない。第204海軍航空隊編「ラバウル空戦記」にある「爆装零戦隊の奇襲」の章。二〇四空の司令は、同年9月27日に着任した柴田武夫中佐。この時期、連合軍の上陸作戦や、ラバウル・ブインなどの空襲が激化している。

 

なお、先回の斎藤報道班員がこの秋にブインに派遣されたころには、二〇一空と二〇四空も一部が激戦中のブインに進出しており、そのためか、柴田新司令もブイン経由でラバウルに着任している。

 

 

 

12月15日の朝、ラバウル航空隊は草加任一司令長官の発令で、いつもより二時間早い〇四〇〇に、「総員起こし」がかかった。司令長官にはマーカス派遣の陸軍から、敵上陸開始の速報が届いていた。以下の事前情報と一致している。

 

もっとも連合軍上陸の意図は、彼らが五日前に派遣した上陸偵察機が、日本軍に発見されるというヘマをやったため、わが方にはあらかじめわかっていた。

 

 

これで場所も確定し、総員、暗闇の中でたたき起こされたわけだ。整備員が忙しく動き回っており、すでに一部の零戦の翼下部には、60キロ爆弾が二つずつ装備されている。目標はマーカス岬沖、攻撃目的は空中からの銃爆撃による敵上陸作戦の阻止。

 

攻撃隊の編成は、二〇四空から41機、二〇一空から14機、併せて55機の零戦、また、五八二空の艦爆8機。零戦のうち、15機が60キロ爆弾の爆装、40機が制空隊。搭乗員が指揮所前に集合し、柴田司令の訓示を待つ。なお、機数減少のためか、岩井中佐はこの両戦闘機隊の司令を兼ねている。

 

 

 

 

他方、連合軍では、事前に上陸地点の選定で論争があったが、マッカーサーの決断で3週間前にアラウエに決定した。上陸部隊はグッドイナフ島に集結し、10日間の上陸訓練を行ったのち、輸送船で出発、ブナ沖で駆逐艦隊と会合した。

 

連合軍の艦隊は、12月15日3時30分にマーカス岬沖に到着した。晴天の夜が明けて、計画通り6時30分、上陸用舟艇、水陸両用トラック、エンジン付きの120人乗りゴムボートなどが、母船から離れ、海岸に向かって発進した。

 

ただし連合軍の航空機は、すべてウェワク島の攻撃などに使用されることになっており、アラウエ上空に味方機は無い。懸念は現実となり、船団が上陸の機会をうかがっていたころ、「日本機がラバウルから来襲しつつあり」との報告があった。

 

 

柴田司令の戦闘機隊の出撃については、海軍の戦史叢書(96)に、他部隊と一緒に記載があるのみで、上記の経緯やこれからの展開などの詳細には触れていない。ともあれ柴田司令は、指揮所前に立ち、鋭い口調でこう述べた。

 

ただ今からマーカス岬沖の敵艦戦隊の攻撃を実施する。銃爆撃隊はかねて教えておいたとおり、緩降下で衝突一秒前まで接近して爆弾を投下せよ。この銃爆撃隊を特別攻撃隊と名付ける。

 

 

著者は誤解をおそれて、この「特別攻撃隊」とは柴田司令の造語であり、のちの特攻隊とは違うと続けている。柴田司令は、敵に「特別攻撃」を仕掛けたのち、味方が生還する計画を立てている。では、どんな風に特別なのか。苦手の技術論が登場する。

 

柴田中佐は、若手三年目の航空母艦「加賀」乗り組みの時代に、戦闘機をもってする航空戦技の「降下爆撃」が気に入り、研究と訓練を重ねた。中国の南昌攻撃作戦に参加して、実戦経験を何度も積み、この道では「造詣もまた抜群であった」。では、その経験で得た奥義とは如何なるものか。以下、主語は司令。

 

 

目標の長手方向に角度の小さい緩降下で行って衝突一秒前に、命中照準点まで機をちょっと起こし、爆弾を落とせば確実に命中すること、そして投下後急上昇すれば、自分の落とした爆弾でやられる危険はほとんどないことを確信していた。

 

だから今度の攻撃実施に先立ち、まだ一度も降下爆撃をやったことのない彼の指揮下の二〇四空およびニ〇一空の搭乗員全員に対し、いざというときすぐやれるように三日前からこの攻撃法の教育を行った。

 

高空三〇〇〇くらいで進み、目標を発見後一五度くらいの浅い緩降下となるよう降下開始、銃撃、照準、爆弾投下、急上昇というふうに、爆弾の弾道などを指揮所の黒板に図解しながらわかりやすく説明し、尻に火がついたも同然の状況になったら、効果のあることは何でもやろうじゃないかと納得させておいた。

 

 

柴田司令は「ガダルカナルの二の舞を演じないため、初期に壊滅的打撃を与えるべき」だという信念の持ち主であった。「危険はほとんどない」というのが正直だが、戦場なのだし、一秒前に逃げるのだから、必ず安全安心というわけにはいかない。

 

この攻撃法は、ビスマルク海海戦で米軍の爆撃機が、水平飛行から放ったスキップ・ボミングと少し似ているようだが、零戦の高い操作性と搭乗員の腕前、敵船艇に肉薄する勇気と成功の確信があれば、命中率を格段に向上させることができる。

 

 

ちなみに解説はもうすこし長く、そこから数字を挙げると、降下角度は約二十度、戦闘機の速度は秒速一五〇メートル、目標の手前一〇メートルくらいのところに着弾する。第一線の零戦乗りなら、要領さえ飲み込めば実技訓練せずとも実行できる由。

 

尻に火はついた。12月15日、〇五三〇。艦爆隊に続き、攻撃隊も発進した。マーカス岬までは一時間ちょっと。六時半過ぎに上空付近に達した。「機上からはまるで砂糖に群がる蟻のように、無数の上陸用舟艇が動き回っているのが、手に取るように見えた」。ダンピールの仇をマーカスで打つ機会が到来している。

 

 

(つづく)

 

 

 

朝顔と夕顔が同時に咲いている  (2022年9月13日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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