本ブログは最初にマリアナ諸島、次にガダルカナルと進んだため、対米開戦前や第一段作戦の時期の出来事については、断片的にしか話題にしていない。これではラバウルほかビスマルク島の戦いについて、記事を書く基礎が足りない。


遅ればせながら、戦史叢書だけでも経緯の勉強をすることにして、今回は海軍、次回が陸軍。資料は「戦史叢書第049巻 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで」これは確か、初めて読む。

 

 

第二章の「ラバウル、カビエン攻略作戦」を参照する。昭和十六年(1941年)の夏ごろまで、日本軍の関心は大陸中国や印度洋に向いていたが、仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)への進駐を受けて、米国が対日の石油輸出を全面禁止した。

 

ちなみに、近年まで知らなかったのだが(学校で現代史を教えてくれないからだ)、フランスはドイツに降伏して以降、親ドイツのヴィシー政権側と、反ドイツ勢力に分かれた。後者の代表がド・ゴール。それからカミュは、反ドイツのレジスタンス。

 

海外のフランス植民地も両サイドに分かれ、ニューカレドニアは反ドイツであったため、日本の敵になった。対して仏印は親ドイツであったため、日本軍は攻撃する必要もなく、「進駐」している。

 

 

同年7月から8月にかけて、海軍も陸軍も米国を敵に回すのは必然という前提で、計画の立案、図上演習を行っている。山本司令長官の発案によるハワイ奇襲の演習において、すでにラバウルの攻略は異論がなかったらしい。

 

南東方面作戦担当の南洋艦隊司令長官、井上成美中将は、ラバウルからさらにラエ、サラモアへの攻略を主張した。これに対して連合艦隊参謀長、宇垣纒少将はラバウルでとどまるべきだとし、この問題は先送りになったまま開戦を迎えている。

 

 

一方で、この検討期間中、ラバウルほかビスマルク諸島の攻略において、海軍は陸軍の協力を要請し、当初、陸軍はマレー方面の上陸を最優先事項として、これを断っている。

 

しかし理由は書かれていないので不明だが、結局は陸軍も合意し、具体的には南海支隊をして、まずはグアム島、次にラバウル、そのあとでパラオ付近に転進させ南方作戦に参加するという絵を描いた。

 

 

南洋に関連する具体的な作戦開始の大命が、大本営海軍部による大海指第一号(開戦前の11月5日)、「山本連合艦隊司令長官ニ指示」に含まれている。ひらがなで引用すると、「四 連合艦隊司令長官は第四艦隊をして、その防備計画に基づき適時南洋群島方面に機雷敷設を開始せしむべし」。

 

トラック環礁名物の機雷網は、多分このころ強化されたことだろうと思う。喧嘩を売れば敵さんが来るのだ。もっとも海兵隊が登場する最初の大反撃をくらったのは、南洋群島ではなく南東方面のツラギやガダルカナルであったが。

 

 

また、第一段作戦において、「占領地中防御すべき主要地点」に、フィリピン、シンガポール、香港、蘭印の各地と並んでラバウルが含まれている。さらに、大命に基づく陸海軍中央協定に、占領すべき要城として、ビスマルク諸島が含まれている。

 

だたし、優先順位があり、まずはグアム島を攻略し、つづいて「ビスマルク諸島の航空基地」を占領する。この時点では、ラエ・サラモアなどニューギニアは対象に含まれていない。これは第二段作戦で検討される。

 

 

もっとも、海軍は開戦前から、ニューギニアの攻略を積極的に計画しており、ただし、陸軍がニューギニアに手を出すと豪州の強い反発を招く点を考慮して慎重であったため、第一段作戦からは外れている。

 

 

 

次に同じく開戦前の11月における連合艦隊の作戦部署において、南洋部隊(第四艦隊)の任務は、当然ながら開戦当初は真珠湾攻撃への協働とその後の対応であって、「情況によりラバウルを攻略」。全般にビスマルク諸島の攻略は、第二段作戦のほうに含まれている。

 

開戦翌日の12月9日、井上司令長官は九十六式陸上攻撃機(中攻)をもって、ラバウルとカビエンの偵察を開始した。翌年1月1日、第四艦隊は敷設艦等四隻からなる第十九戦隊の長を、ビスマルク諸島の攻略部隊(R方面攻略部隊)長に任命した。

 

 

作戦書が載っており、まず旗艦は敷設艦「沖島」とある。任務の第一は「陸軍の護衛」。すなわち在グアムの南海支隊(大本営からラバウル攻略の正式命令が出たのは1月4日)のR方面への輸送および共にラバウルの攻略を行う。また、R方面の基地設営、防備、航空部隊への協力を行う。

 

また、隷下に第十八戦隊も置き、こちらがカビエン攻略を担当する。連合艦隊は、協力部隊として第一航空艦隊を計画に組み込んだ。さらに、航空部門は、ウェーク島の攻略を終えた千歳空陸攻隊および横浜空大艇隊の各半数が、1月3日までにトラック基地に集結した。

 

日本軍のR方面の攻略は、1月4日のラバウル空襲を以て始まる。さっそく連合軍の反攻が始まり、トラックが空襲を受け、日本軍はラバウルの早期攻略に向かう。長くなったので、海軍の作戦は概略ながら以上とし、次回は陸軍について。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

水元公園のカワセミ  (2022年8月16日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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