コアジサシ

 

 

なぜ中将の「将」だけ、「じょう」と読むのだろう。悩んでも仕方ないので、本題に進みます。前々回からの続きで、昭和十九年(1944年)1月9日に、連合軍のグンピ岬上陸を受けてマダンに戻る際、安達中将が今村大将に宛てて書いた手紙について。

 

この書簡は1月9日付になっている。中将がシオの地にて、第百七十七潜水艦に乗ったのが1月8日で、陸軍の戦史叢書(58)によると、中将は同潜水艦内で書簡を書いた。この潜水艦以外に、書簡をラバウルに届ける手段がなかったからだろうと思います。

 

 

このころになると、敵機はもちろん大小の敵船まで昼間から悠々と日本軍の目の前を通り過ぎてゆくと、この書簡にも出てきます。上記の第百七十七潜水艦も、シオに向かう際、第二十師団への糧秣を運んで行ったものの、敵魚雷艇二隻に追われました。

 

このため、1月7日、上甲板に積載した荷物を海に捨て、急速退避した。このため二十師は糧秣の補給を受けることができず、安達軍司令官の出発も、一日遅れています。後の回で触れますが、それでも敵を殲滅せよと大本営は強弁してやまない。

 

 

長文の詳しい書簡ですので要点のみ記しますが、それでも記事二回分はかかります。すでに第八方面軍と第十八軍の間で大筋、合意した内容の詳細が書かれていますが、戦史叢書が「全文」を引用するだけあって、単なる作戦書でもない。その冒頭を以下適宜、現代仮名遣い・ひらがなに換えて転載します。

 

拝啓 打ち続く状況の転変に、閣下日々のご心労のほどお察し申し上げ候。然るに、さらに当方面においてご心配をおかけすることになり、まことに遺憾に存じ候。以下順序、不揃いにて大様をご報告申し上げ候。

 

 

このあとの書簡の本文は、大項目が六つあります。項目名が無いものもあるので、適宜こちらで書き添えることとします。大項目の一は敵上陸の報を受け、1月4日にシオに到着した際の、安達軍司令官の「小官ノ考へ」。

 

前提として、ダンピール確保の任務を外すことはできないとあります。以下、現状分析と対応策からなり、闘将安達二十三の面目躍如たるものがありますが、彼が懸念しているとおり、これから先のニューギニアは、地獄の沙汰を招くことになります。

 

 

目の前のカワセミ

 

 

大項目一の下には、小項目が四つあり、その一つ目は、マダンの現戦力を以て、グンビ岬の敵を攻撃するのは無理で、「大蹉跌を招くおそれ相当大」であるところ、敵攻撃に使用すべきではない。下手に刺激すると、マダンまで失うかもしれない。

 

この判断の根拠として、戦況は「現在の空海における圧倒的勢力を敵に許しある現況」という表現で説明されており、一例として上記のように、「事実、随分ひどきものなり、大舟も小舟も白昼堂々眼前を過ぎ、空は昼間はほとんど間隙なし」。

 

 

そうとなると、現状打開の原動力は、シオ方面に在る兵団(第二十、第五十一の両師団など)に拠らざるを得ない。続いて、小項目の二。一方で今後さらに、連合軍は追加の上陸作戦を実施するおそれがある(結果的には当面、無かった)。

 

現在、司令部も各師団も散在している状況なので、更なる敵上陸を受けて支離滅裂の状況に陥る前に、軍は「全部一団となり、堅き団結と統一指揮の下」に置き、秩序整然と行動する必要あり。すなわちシオ方面の兵団は、できれば戦わずしてマダンに転進させる。

 

 

そうはいっても、問題は「補給と戦傷病者の措置」であると、小項目の三に続きます。この行軍は距離もあるし、途中のグンビ岬・サイドルに敵が布陣しているうえ、何と言っても、すでに消耗しつくしている兵団なのだ。

 

軍司令官はシオからグンビ岬付近に至る行軍の所要日数を、二週間と見積もった。追加の敵上陸もあり得るところ、急ぐが、海上輸送はできない。軍が所有する大発は内海用8隻、外海用6隻のみ。上陸した連合軍は海岸沿いにいる。敵航空機もうるさい。

 

 

このため内陸側に迂回し、極力日数をかけずマダン方面に機動させるほかない。では、戦傷病者はどうするか。その数、千数百名に上る。重症の者が多い。担送や舟艇機動は限界があり、「何とも可哀そうなるも倒れるところまで連れ行く他なし」。

 

最後の小項目四にまとめの具体策があり、第五十一師団は引き続きシオ方面の守備、移動中の第二十師団を収容し、シオにおいて、潜水艦による補給を受ける。その後、兵団は病人を先発させ速やかに西方ガリに前進し、ここに作戦と補給の拠点を置く。

 

 

大項目の二は、以上の方針に基づく計画はすでに着手しており、司令官のシオ滞在中に、二十師の歩兵第八十連隊を基幹とする「ガリ先遣隊」を前進させた。内海用の大発は外海用に改造し、これも一気にガリに回送し、その際、砲と患者を運ぶ。

 

主力も、電報で送った日程より少し早めの行動に出ており、そこまで指揮してから安達司令官は、中野第五十一師団長に後事を託して、潜水艦に乗った。問題は大項目の三、「ガリに兵力終結後の作戦腹案」。彼らはガリから先、どの道を行軍するのか。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

不忍池のスッポン  (2022年8月1日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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