8月7日は、連合軍がツラギやガダルカナルに上陸してきた日。慰霊と遺骨収容はこの日と定め、ソロモンに渡航する予定でしたが、すべて新型コロナ黴菌の邪魔だてに遭い、無期延期であります。いつになることか。しかも円安。

 

今のところ個人的に準備しているのは、山登り用の装備の買い入れと、酷暑を利用した熱帯の暑さ対策です。外には出るなと行政も報道もいうのだが、何のその。服装の選び方、トレッキング・シューズの履き方、歩きながらの給水や休憩のタイミング、体温を下げる行動や小道具の工夫などを続けています。むろん無理は禁物。

 

 

これから始まる連合軍の東部ニューギニアにおける新たな上陸地点は、日本側がグンビ岬と呼び、連合軍がサイドルと呼んでいる地です。陸軍の戦史叢書(58)の第四章「連合軍のグンビ岬上陸をめぐる第十八軍部隊の作戦」に入ります。

 

このあと出てくるグロスター岬、マーカス岬、ツルブといった地は、北隣のニューブリテン島にあります。これらへの上陸作戦は、すでに昭和十八年(1943年)終盤に実施されており、グンビ岬・サイドルへの上陸は、そのあとの翌年1月2日です。

 

 

つまり私が連載の順番をニューギニアが先、ニューブリテンを後にしたため、上陸日の順序が逆になっています。これを先に確かめておかないと、これから書く連合軍の判断、行動の経緯が読みづらくなるところ、改めて念のため。以下、戦史叢書より。

 

一九四三年(昭和十八年)末における連合軍側の作戦指導とその計画は、大要次のような経緯で推移していた。マーカス岬とツルブ進攻時の窮極の作戦目標は、ラバウルであった。

 

しかし一九四三年十二月、マッカーサー大将はその構想を拡大し、マーカスとツルブの戦果を拡張して西方に進撃し、フォン半島北岸のサイドルを占領するよう決意した。概略計画ができたのは、十二月十一日であった。

 

 

 

 

この章をこの箇所まで読む限り、当時の日本陸軍の資料の中に、グンビ岬やサイドルの名は出てきません。この段階での第十八軍は、シオの確保(ダンピール海峡の輸送の保持)および軍司令部のあるマダンの守備強化が作戦目標になっています。

 

一方、では意外なところに上陸してきたのかというと、そうでもないようで、サイドルには戦前から滑走路があり、占領した日本軍が舟艇集合所(大小発の停留所)として利用していた。しかし警備が「薄弱」であると、連合軍は見ました。

 

 

しかも定例である上陸前の準備航空攻撃も端折り、早朝いきなり艦砲射撃のあと強行上陸する計画を立てております。まだ、地上偵察も時間不足のため省き、航空写真だけで上陸地点を決めたらしい。そしてまだイレギュラーな要素があります。

 

これまで、マッカーサー軍の陸上部隊は豪州陸軍に加え、ブナ・ゴナの戦い以来のアイケルバーガー少将率いる米陸軍の部隊も加わっています(ニューギニア軍)。なお、アイケルバーガーは後日、ホーランジアやビアク島に来ます。

 

 

しかし今回、サイドルへの上陸作戦を仕掛けてきたのは、上記のニューギニア軍ではなく別動隊で、すでにニューブリテン島への上陸を果たしている米陸軍のアラモ軍(軍司令官はクルーガー将軍)が担当しました。

 

こうなった事情は、(1)豪州軍がほとんど全部、戦闘中または静養中であること、(2)アラモ軍に余力があり、ニューブリテン以外にも派遣することができたこと、を戦史叢書は挙げています。

 

 

 

サイドル攻撃のための上陸用舟艇は、グロスター作戦で使用したものを再利用しています。1月2日朝、艦砲射撃のあと、上陸作戦が始まりました。またも受け身の日本軍です。このフォン半島北岸方面は、このころ第五十一師団が警備担当でした。

 

そして上陸地点のグンビ付近は、ガリという地に在る「ガリ警備隊」(歩兵第六十六連隊集成第三大隊主力)の担当です。歩六十六は宇都宮の編成。しかし上陸地点には陸軍の船舶工兵部隊の仮泊地と、海軍の見張所があっただけでした。

 

 

フォン半島府北岸のシオ、キアリ、そしてマダンには前年終盤から、敵機が跳梁し、銃爆撃を繰り返していました。したがって五十一師は油断していたわけではなく、戦史叢書の表現でいうと「警戒を厳にしていた」のですが、もはや守り切れない。

 

前夜半から西に艦砲射撃の音を聞き、翌早朝には見張所から、「機動艦隊を伴える敵は本朝来、グンビ岬に上陸中」という入電がありました。上陸地点そばにあったガリ警備隊の一コ小隊、「フンガイヤ警備隊」との通信連絡が途絶した。

 

 

このとき、安達軍司令官はキアリ発、新年の誓いで守り抜くと表明したシオに向かって、徒歩や舟艇で移動中です。一行は分派し、そのまま軍司令官はシオに向かい、同行者の師団参謀たちは、司令官と別れてキアリに引き返しています。

 

第五十一師団の司令部は、ガリ警備隊に向けて歩兵の援軍および輜重隊を送っています。ちょうどこのころ、フィンシュから撤退中の第二十師団の将兵が「海岸一帯に転点々と行動し」、その炊飯の光を狙って敵機と魚雷艇が、激しい爆撃を加えてくる。次回は航空部隊の反撃および第八方面軍の対応についてです。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

今回の写真は杉並の善福寺公園です。  (2022年7月8日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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