東京都中央区のウェブ・サイトより

 

 

 

二・二六事件の写真は、けっこう多いようです。雪が積もっている。上記は中央区のサイトから拝借しているものですが、都会の真ん中で白昼堂々の事件ですから、写真も多かろうというものです。

 

東京に住んで通算三十年ほどになりますが、寒さが和らぎ始める2月下旬から3月にかけて雪が降るという特徴があります。これは首都圏の南方海上を、この時期に寒冷前線が通過する影響であるらしい。桜田門外ノ変は新暦で三月下旬ですから、やや季節はずれの名残り雪。

 

 

他の写真など見ると、今の東京と比べて、なかなかの積雪です。襲撃された要人は、この雪またはこの寒さもあって外出も外泊もせず、自宅に居たのではなかろうか。反乱者は半蔵門、すなわち江戸城の搦め手の近辺に集結している。その先は遠かった。

 

 

サザンカ

 

 

では前回の続きで、ギルバート諸島攻略直前の連合軍の動きを話題にいたします。引き続き海軍の戦史叢書(62)を参照します。前回触れたように1943年5月に英首相チャーチルが参加してワシントン会議が開催されました。これは英米だけの会合のようです。

 

翌6月中旬、ニミッツはギルバートやマーシャルなどの航空写真偵察を行った。この結果、当初計画にあったナウルよりも、計画外だったマキンのほうが、「港や珊瑚の点から」、占領兵力が少なくて済み、作戦実行も容易などの評価が出た。

 

 

8月11日から、英米に仏と加も加わりカナダのケベックにおいて、欧州問題および中部太平洋の作戦計画に関する会議が行われました。このケベック会談の結果、中部太平洋の攻略は次の順で6段階に分けて行うとの合意が成立しました。

 

すなわち、(1)ギルバート諸島およびナウル島、(2)マーシャル諸島、ウェーク島およびクサイ島、(3)ボナペ島、(4)トラックを含む中部カロリン諸島、(5)パラオ島、ヤップ島、(6)マリアナ諸島。

 

 

上野ぼたん苑

 

 

前掲5月のワシントン会議の攻略予定地と比較すると、マリアナ諸島が新たに加わっています。これは、いずれ加わるものでしょう。しかしもう一つ、前者に含まれていたラバウルが外された。マッカーサーは、「いたく失望した」とある。しかし海での戦い。反論できず。

 

なお、上記6段階の進撃経路は二本の線があり、1)ギルバート、マーシャル、カロリン、パラオ、フィリピンの線。2)その北方を迂回するマリアナ、小笠原、日本本土の線。米海軍は9月15日、第一目標をマキンに定めた。10月5日、ニミッツはこの計画を「ガルバニック作戦」と命名する。野戦軍司令官はスプルーアンス、旗艦は「インディアナポリス」と決まった。

 

 

すでに準備行動は始まっています。9月1日から米軍は、南鳥島、マキン、タラワ及びウェークの空襲を開始。また陸上拠点を確保すべく、エリス諸島およびぺーカー島に上陸した。ベーカー島はタラワ環礁の真東にあり、米軍は9月11日には早くも飛行場を造り上げた。

 

ここからの空襲は、ギルバートとマーシャルのほぼ全域にわたる広範なもので、そうした理由は日本軍による「増援阻止と上陸地点の欺瞞のため」です。このため、日本側は航空機を含む兵力の集中が進まず、タラワが特別な警戒を始めたのは上陸日の四日前だった。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

小石川植物園の紅梅  (2022年2月23日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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