ルリビタキ 水元公園

 

 

本ブログでは、先の大戦と書いたり、大東亜戦争と書いたり、太平洋戦争と書いたりで、一番重要な歴史用語に統一感がないのですが、だいたい学会も世間もバラバラなので、やむなく状況に応じて書いている。

 

伯父の第一回出征は、支那事変であって大東亜戦争ではありません。二回目の出征は大東亜戦争の時代ですが、うちの祖父母・両親は当然この言葉を使わなかったし、特にこの二年間、引っ張り廻されている南東方面と中部東方面は、地理的に太平洋戦争が似つかわしい。

 

 

では、好きにします。大まかに言えば、南太平洋はハルゼー、北太平洋はスプルーアンス。この両名と上官のニミッツは、軍歴も様々ですが、太平洋戦争において、たいへん結束が強かったというのが、私の強い印象です。日本陸海軍の上層部は、内紛ばかりしておる。

 

ハルゼーには散々付き合って参りました。村上水軍の親玉もかくやあらんという男です。スプルーアンスはそのエピソードからも容貌からしても英国紳士のようで、ネルソン、トーゴーの延長上にあるようなアドミラルです。1969年逝去。私と少し人生が重なっている。

 

 

雑感はこれくらいにして、スプルーアンスは中部太平洋方面の戦いに敵将として登場し、伯父の戦争もその戦績の一部となりました。ハルゼーはガダルカナル当時、ニューカレドニアのヌーメアを本拠地とし、南東方面で指揮を執りましたが、スプルーアンスは担当の戦場が遠いので船に乗った。

 

久しぶりにアメリカ海軍のサイトを見ます。米海軍史の図書館・博物館のようなサイトで、一番下にUSネイビーの公式サイトと書いてあります。レイモンド・エイムズ・スプルーアンスの略歴をまとめたページがあります。

 

 

 

 

生まれはメリーランド州ボルチモア。あちこち引っ越しているようですが、一時期、インディアナ州インディアナポリスで暮らしています。後に彼の船団が、サイパンやテニアンに来た時、旗艦だった巡洋艦と同じ名前だ。

 

日本でいう海軍兵学校のごとき”the Naval Academy”卒業後の彼は、軍歴というより職歴と呼んだ方が適しているような、電気系のエンジニアの道を多く歩んでいる。GE社にも出向していたらしい。第一次世界大戦中も、海上と陸上の勤務を両方、経験しています。

 

 

キセキレイ 根津神社

 

 

太平洋戦争では、まず1942年のマーシャルとウェーキに出動している。その次が、ミッドウェー。日本海軍に対して、決定的な勝利を収めたとあるが、これが日本の350年ぶりの敗戦だったと書いてある。ヒトラーは、日本は三千年の歴史において、戦争に負けたことがないと言っていた覚えがあるが、どうしたことか。

 

ミッドウェー海戦の1942年から350年さかのぼると、1592年。この年は太閤秀吉の朝鮮征伐(文禄・慶長の役)のうち、第一回の文禄年間の遠征があり、明国との講和で終わった。あるいは海軍関連なので、李舜臣の話題なのか。

 

 

後半はスプルーアンスが活躍した地名が並んでいる。ギルバート、マーシャル、マリアナ、硫黄島、沖縄。誉め言葉ばっかりなので、読んでいて疲れるが、目を引く出来事がある。戦後の1946年、スプルーアンスはアメリカ陸軍から授章している。

 

評価された点は、”complete integration of Army and Navy units”。陸海協同の功労者。日本軍では、負けた戦に表彰もないだろうが、少なくともこのことに尽力した人はいるのだろうか。ぱっと思い出せない。具体的事例の記載はないので、これから個々に確かめて参ります。

 

 

(おわり)

 

 

 

白梅が咲きました 上野公園  (2022年1月27日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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