胸の「逆三角形」模様でおなじみのハクセキレイ

 

 

前史のおさらいは、今回までです。中部太平洋方面に進むにあたり、いつもお世話になっている雑誌「丸」別冊、「太平洋戦争シリーズ」の第6巻、「玉砕の島々 中部太平洋戦記」を買いました。表紙の似顔絵は、南雲・小沢の両提督と東條英機首相。編集後記より抜粋します。

 

タテマエとしては、すべての戦場を網羅するつもりであったが、遂にマキン、タラワ、クェゼリン、ブラウン等の玉砕島の記録は、書き手を得ることはできなかった。甚だ残念である。

 

 

当時(昭和62年発行)、潮書房なら戦友会や自衛隊などの関係組織・関係者とのネットワークができているだろうに、見つからなかった。見つかっても断られたのかもしれない。もっとも全く記載がないと体をなさない。連合艦隊の元参謀ほか概要を語れる人が空白を埋めている。

 

以下、参考書は引き続き海軍の戦史叢書(38)です。前回の続きで、もはや戦前となり、軍備制限もなくなった。それまで、日本軍は南洋群島における軍備(道路、港湾、灯台、農漁業関連施設など民間のものも含む)を、南洋興発貿易株式会社に請け負わせていたとある。

 

 

南洋興発の名は、本ブログの初期に何度か出しました。テニアンでサトウキビ畑を開発し、台湾と並んで、本土への砂糖の供給源となりました。実質的に存続会社と呼び得る企業が、今もあります(そう自己紹介しているから間違いない)。事業の監督官庁は南洋庁です。

 

 

 

ただし、制限が撤廃されてからは、需要が急増して民間頼みでは追い付かず、一部を除き海軍(担当は横須賀)直営となりました。さらに開戦直前の昭和十五年(1939年と書いてあるが、昭和十五年なら1940年)以降は、トラック環礁の第四艦隊に、海軍建設部を置いた。

 

これでようやく、第四艦隊がガダルカナル島に飛行場を建設する旨の意見具申をした件も、おそらくこの指揮命令系統に沿ったものだったろうと推察できます。もっとも土木建設工事の実態がどうだったのかについては、「資料不足のため把握が困難」。しじゅう

 

 

断片的な記録によれば、第四艦隊に設計施工の技術的な責任を負わすのは無理な話で、制限撤廃後、本邦から設計調査団を何度か出すという方式を採ったようです。大東亜戦争開始時点で、南洋群島に飛行場があったのは19箇所。

 

なかなか進捗しなかった旨の説明がある。一つは機械化が進んでおらず、人力頼みだったこと。そうでしょうとも。開戦後も変わりはなかった。もう一つは、後に主として陸軍や海軍地上部隊の現地業務になりますが、このころは先ず内地で労務者を調達する必要があった。

 

 

それは世界大恐慌(日本史用語では、昭和恐慌)の後ですから、雇用創出の必要もあってのことですが、それでも足りず、現地の島民や、ずっと前に触れましたが、囚人も使役した。戦史叢書によると、囚人はテニアンとウォッゼに送られている。法務省公認。

 

昭和十五年の5月の段階で、南東群島の警備を司る第四艦隊は実質、新設であり、駆逐艦二隻と水上機母艦二隻。急きょ巡洋艦や駆逐艦の追加手配を始めたとあります。昭和十六年年度には、組織改編も行い、それまで独立部隊だった第四艦隊を連合艦隊の隷下に置く。

 

 

シジュウカラ

 

前史の総論は、この程度にして、詳しくは必要に応じ、これから書くそれぞれの戦場での話題とします。最後に、昭和十五年の10月、海軍はいつもの図上演習およびその結果に基づく研究会を行った。記録は残っていないが、参加者のメモや戦後の話によれば、図演の結果はあまり芳しくなかった模様。

 

 

さらに研究会では、山本五十六司令長官より、「机上で考えるほど、容易なものではない」旨の発言があったそうで、戦史叢書は「暗に対米作戦は不可能であることを、ほのめかすようなことを強調した」と書いている。

 

翌11月に聯合艦隊は第四艦隊司令部を本土に呼び、戦艦「長門」において作戦打合せを行い、また、第四艦隊は陸軍の南海支隊との間で、陸海軍作戦協定を締結しました。この時点になり、南洋群島の外側に位置するギルバート諸島を含むハウランド方面が論点になった。

 

 

この件は、南洋方面に常駐となった第四艦隊の司令長官が指揮する南洋部隊の任務として、ギルバート諸島の要地攻略を加え、占領後、水上航空基地を進出させることで合意形成がなされた。かくて、マーシャル諸島と同じく、マキンやタラワも最前線になりました。

 

蔵書のどこかに、サイパン島の写真付きで、開戦二年前になっても、軍事施設らしきものは殆どなかったと書いてあったのだが、行方不明につき捜索中です。探しているうちに、軍部が検閲した新聞記事の一つに、タラワの海辺は「血の浴槽」になったというのを見た。

 

 

(おわり)

 

 

 

不忍池のカワセミ 今年も宜しく  (2022年1月2日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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