メジロ

 

 

科学には、かつて自然、社会、人文という三分野がありました。昨今は、社会・人文と一まとめにされていることが多い。大学には理系の学部しか要らないという政治家もいたし、人文が科学かと云う意見も聞いた。自然科学が万能なのか、考えたこともないらしい。

 

戦争には、兵器が好例ですが物理・科学、医学・生理学のような自然科学が対象とするものがあり、組織論や国際法や軍事財政などの社会科学の領域もあり、今のところ人間が戦争をしている以上、文芸や評論といった人文の出番も欠かせません。

 

 

ご覧のとおりで、私は人文に関心が強く、作家や評論家の書いた本を好んで読みます。「フィクションのくせに」というような誹謗をしばしば目に耳にしますが、世の中には証拠も何もなくても、あっても書かれていなくても、大切なことがございます。

 

戦争に関することは、公式文書が軍機であったり、負けると燃やされたりするし、個人の文書にも書けないことが多々ある。資料主義を標榜する戦史叢書も苦労しつつ、結局は想像力、直観で歯抜けの箇所を埋め合わせていきます。

 

 

戦後間もない自衛隊の要職にあった佐藤兼五郎というお方がいます。第十八軍の創設時から、ラバウルでの軍事裁判まで、安達二十三司令官と行動を共にした軍参謀でした。作家の戸川幸夫が、田中元参謀や安達家のご遺族ほか関係者に取材した内容などを組み立てた小論が、「悲しき太平洋」に収録されている。

 

第十八軍の初代軍司令官に任命された安達陸軍中将は、昭和十七年(1942年)11月9日、参謀本部に出頭した。予めそのあとで自宅に寄ると家族に伝えてあった。その前日に夫人が病で亡くなった。家族は出棺を一日延ばした。「悲しそうな顔をしていた」と遺族が語っている。

 

 

前出の田中兼五郎元参謀によると、「安達中将はしきりに戦場に死処をもとめられていたようです」。これと似た性向の持ち主として思い浮かぶのは、しばしば部下をハラハラさせた日露戦役の乃木希典であり、最前線にまで出たという点では山本五十六も同様です。

 

乃木さんの「軽挙」を諫めたのは明治天皇だったと伝わる。多分、事実だろう。明治帝の大喪の日に、乃木は頸動脈を断った。安達を止めていたのは、今なお苦闘している部下の存在であったやもしれない。

 

 

終戦の約二年後、ラバウルの裁判で部下全員の帰還が決まった時、安達の場合は獄中にあって切れ味の悪い果物ナイフの切腹だけでは死にきれず、自分の手で頸動脈を押さえて自決した。そんなこと、できるのか。

 

ウグイス

 

 

彼が大切にしたのは節義、節度、清節といった、軍人というよりは求道者に近いような倫理だった。子供たちにもこれだけは厳しく、また部下にも伝えている。彼は禅宗に帰依し、あの時代にキリスト教を学び、論語を読んだ。勢い余ったか、ダーウィンの「種の起源」も愛読した。

 

戦陣にあっては、厳しい時はひたすら厳しい頑固親父であり、そうでないときは、朗らかな上官だった。しかし貫禄のあった体は、ニューギニアの戦いで、体重が三十貫から十三貫に落ちた。ネットに出回っているやつれた写真は、大半が降伏時に敵が写したものです。

 

 

軍事経験もないのに申し上げますと、兵士は国家機構や王様のために死ぬのではなく、ある司令官や上官のために死ぬのを理想と思うのではないかと想像しています。司馬遷の表現では、「士は己を知る者の為に死す」といったところです。家族を含めてもいい。雲上人ではない。忠義と真情は違います。

 

この点、安達将軍の部下は、山本長官の部下と同様、指揮者に恵まれていたと思うのですが、この戦争の場合、ひたすら付いていくと、行き先で「凶」の御籤を引きかねない。佐藤書によると、ニューギニアの兵員は概数で、投入が12万人、生還者が1万人足らず。第十八軍の通称「猛七九一〇」は、「もう泣く人無し」と訓み下された。

 

 

近代の軍人は人事異動が多いものだが(覚えるべきことが多いからだろう)、その中にあってこのニューギニア戦線の野戦軍指揮という重責を、何年も一人で担い続けていたというのは、どういうことなのか。平凡だが、「余人を以て代え難し」か。私は、別に彼を神棚に挙げて奉ろうとしているのではない。

 

ただ、後輩の山口多門の戦死を知った角田覚治が、いつか奴を連合艦隊司令長官にして、その下で働きたかったというようなことを漏らしていたという口碑が忘れられず、山本五十六や安達二十三は私にとって、そういう理想像です。戦争が起きたらの話ですが。佐藤書の終盤より一節を引用して終わります。

 

昭和二十二年九月十日朝、安達中将の死は在ラバウル全日本人に伝わった。誰かが、「皆一致団結してやっていくんだよ」という遺言の一節を読み上げると、一同声を放って泣いた。(田中氏談)。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

冬の日没  (2022年1月4日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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