おたまじゃくし

 

 

雑誌「丸」別冊の手記、竹中義男氏著「『セ』号作戦とソロモン海戦隊」に戻ります。昭和十八年(1943年)年9月20日に、「チョイセル島の出撃基地に向けて進発した大発の第一梯団は、ベラルタで敵機の攻撃をうけて、大部の大発を失ったという情報が入ってきた」とある。

 

陸軍の戦史叢書(40)によれば、芳村部隊長に先立ち出発したこの第一陣は、十隻の大発を沈められてしまった。この時点で約110隻が集まっていた大発のうち、約一割の損失は大きい。このとき着任早々の和気中隊長から、舟艇機動は一回ではなく、第二次もあると聞いた。

 

 

歴戦の戦友、第一小隊長の佐崎小隊長が「一回ならばと思ったが...」とうめくのが聞こえた。彼ら、陽気で気さくな和気中隊長や、この佐崎小隊長は第一次で戦死する。読書した範囲では、陸軍の戦史叢書に名前が出て来るのは、歩兵の場合、概ね大隊長までだと思います。

 

これは伊藤桂一著「兵隊たちの陸軍史」に、部隊と呼ばれるのは大隊まで(部隊長と呼ばれるのも大隊長まで)という、陸軍の組織階層と平仄があっている。しかしここでは例外的に、戦史叢書が、中隊長和気道夫中尉の戦死に触れている。逸材だったか。

 

 

著者の中隊に、意外な命令が出た。すなわち船工三の連隊から臨時で離れ、第一次作戦においては、海軍の種子島部隊に配属、その指揮を受けよとある。説明があり、先述の大発の損失に因って、隻数の調整が必要になった由。

 

前回掲載の計画図によると、コロンバンガラ島の北端に北天岬があり、種子島部隊はここを目指す。著者の中隊は、その最後尾について前進し、岬の当方にある高砂浜の秘匿地に向かう計画。9月27日午後5時半、出発の時は来た。著者の小隊は、中隊の第二梯隊に属した。

 

 

中隊長の特大発(普通の大発の二倍ある大型船)を含む第一梯隊が、まず先に海軍の後ろに付く。和気中隊長や佐崎小隊長が手を振っている。これが彼らを見た最後になった。四時間ほど航行したが、見えるはずのコロンバンガラ島がなかなか見えない。

 

午後11時過ぎ、赤しい信号弾が左後方に尾を引いて流れ、続いて赤黄青白の曳光弾が十条ほどの光の束となって撃ち込まれてきた。敵魚雷艇二隻の襲撃だった。艇隊は左旋回して撃ち合いとなり、この敵は撃退した。

 

 

 

再び南進し十分後、友軍機の「吊り星」(吊光弾)が、青赤青赤の順で光を放った。敵の巡洋艦・駆逐艦の発見の合図。同時に艦砲射撃が始まった。十メートルほどの水柱が、あちこちに立つ。それが止んだとたん、次は敵魚雷艇、数隻が海面いっぱいにひろげて突進してきた。

 

和気中隊長の指揮艇も、佐崎第一小隊長の二隻も見えない。やむなくそのまま進むと、ようやく島影が見えてきた。コロンバンガラ島は見分けがつきやすい。しかし、珊瑚礁に砕ける白波が見える。河口を二重に囲むリーフの間隙を見つけ、そこから中に入らないといけない。

 

 

船首の見張が、「カヌーがいる」と叫び、島からの迎えが来てくれたことが分かった。これで接岸できる。ところが、予め聞いていた通り、引き潮で艇の底が砂地についてしまい、進まなくなった。小隊長以下、全員、海に飛び込んで大発を抱えて河口から20メートルほど奥に進んだ。

 

あたりには、首まで海につかって「夜光木」を持ったコロンバンガラの守備兵が待機しており、大声で誘導し、砂を掘り、準備してあった樹木で、あっという間に大発を覆い隠して偽装完了。何としても、この人たちをチョイセル島に運ばねばならないと思った。

 

 

この撤退部隊は、戦史叢書にも出てくる独立山砲第十連隊第二大隊の精鋭であった。竹中小隊長らは、和気中隊長ほかの到着を待ったが、ついに夜が明けた。9月28日の朝が来た。電話で問い合わせると、北天岬にも二隻が未着で、乗船が足りない。

 

そこに種子島部隊の司令部から命令が届き、第三十八旅団第二野戦病院の重傷者300名を、今夜、駆逐艦「天霧」まで運ぶ任務を得た。重要な仕事だと小隊長は感激し、さっそく珊瑚礁の状態を知らべ、準備と訓練を始めた。

 

 

夜、将兵を大発に乗せ、沖合で待機していると、駆逐艦四隻が来た。これは輸送隊の三隻および警備隊の「天霧」、ケネディを沈めた船。「天霧」は予想以上に大きく、舷が高い。縄梯子と竹の梯子を登れる者ばかりでない。担送されている者もいる。

 

波の動揺もあり、すでに体力が落ちている陸兵の中には、駆逐艦と大発の間に落ちるものがかなり出た。竿で救えた者もいたが、力尽きてスクリューの渦流に消えた者もあった。「戦場から持ち帰った、生涯背負う心の傷の一つである」。

 

 

搭載を終えた直後、敵魚雷艇6隻の急襲があったが、駆逐艦は一斉に機関砲を撃ってこれを追い払い、全速力でコロンバンガラ北部から去った。著者の小隊は、まだ次の仕事がある。急用は無事終えたが、本来の第一次撤収計画は、これからなのだ。

 

南東支隊の司令部員や山砲隊、歩十三ほか合計200名を収容した。なぜ分からないいが、出発地点のスンビ基地ではなく、東方のサンビに向かうよう命令された。夕闇迫るころ、敵PTが搭載する航空機エンジンの音が聞こえてきた。決意を固め、そして案の定、交戦になった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

カワセミ、羽ばたく  (2021年7月18日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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