海軍の戦史叢書(96)は、昭和十八年(1943年)4月の「い」号作戦の発動について、「四月七日、ラバウル附近は好天だった」と始まる。日本の昔の夏、暑い季節に朝から晴れると水蒸気が盛んに上昇し、夕立になって落ちて来ました.今の東京は降りません。ともあれX攻撃(ダガルカナル方面空襲)は、念願の好天に恵まれて始まった。

 

 

前日、セントジョージ岬(ココポの対岸辺りです)で悪天候に阻まれ引き返した第二艦隊の飛行隊は、朝5時、ラバウルの西飛行場を発進した。続いて、同艦隊の「隼鷹」、「飛鷹」の艦爆隊がバラレに向かった。

 

この中に豊田穣がいる。バラレはショートランド近くに散在する小島の一つで、戦後、飛行機の窓から近辺の海域を見下ろした豊田さんは、「どれがバラレか判別できなかった」と、著書「南十字星」に書いている。もう飛行場跡は見えなかったらしい。しかし続けて、自分にとっても、日本海軍にとっても忘れられない島だと書いている。

 

 

続いて、「隼鷹」戦闘機隊と二航戦司令部がバラレに、「飛鷹」戦闘機隊がブインに進出。一方、ラバウル東飛行場から、二〇四空と二五三空の零戦隊がブカ、五八二空の零戦隊と艦爆隊がブインに向かい、おおむね午前7時ごろには配置を終えた。潜水艦隊も先行待機中。なお、理由は記されていないが、陸攻はX作戦に加わらなかったと書いてある。

 

二五三空の百式司偵は、事前偵察のため朝5時に東飛行場を発ってガダルカナル方面を偵察し、ルンガ沖、ツラギ沖、コリ岬沖、シーラーク水道、サボ島付近に敵軍の巡洋艦、駆逐艦、輸送艦など二十数隻を確認し、断雲あれど天気晴朗なりと報告した。昨日の無線で推定した隻数とほぼ一致し、宇垣参謀長は「好餌正に我を待つ観あり」と書いた。

 

 

日本の航空機隊の組成は、ラバウル航空隊の零戦隊からなる「第一制空隊」(二五三空)および「第二制空隊」(二〇四空)、戦爆連合の「第一攻撃隊」(瑞鶴、瑞鳳)、「第二攻撃隊」(五八二空、瑞鳳)、「第三航空隊」および「第四航空隊」(いずれも飛鷹、隼鷹、瑞鶴)の各隊からなる。かれらの攻撃経路の概要図は以下のとおり。

 

 

 

これは戦史叢書も張り切って作りましたね。私がいつも頭を悩ますジグザグの海戦図より、ずっと見やすい。第一・第二の零戦制空隊は、この順でサボ島とルッセル諸島の間からガダルカナル上空に侵入し、敵機との空戦を経てラバウルに帰還した。成果・損害については、後段で概略をまとめます。

 

次に戦爆の「攻撃隊」四個隊は、サボ島上空で展開した。轟音が聞こえるようです。フィルム、残っていないかな。見てみたい。北から順に、第一および第二がツラギ沖、第三がシーラーク水道、第四がルンガ岬およびコリ岬の沖を空爆した。第二攻撃隊の報告の中に、13時15分から密雲のため、爆撃不能とあり、やはり天候は下り坂になった。

 

 

戦果の確認のため、まず二〇四空の百式司偵が偵察、ツラギ沖に駆逐艦または輸送船一隻、また、ルンガ沖に輸送船一隻が炎上中、他方、多数の船が近海を遊弋中と報告し、これでは船舶攻撃の成果はあまりなかったように受け止められた。また、同日夜および翌朝に夜間爆撃を試みたが、いずれも天候不良で引き返している。

 

ラバウルでは各隊の帰還を待って戦果及び損害を集計のうえ、攻撃の評価および今後の計画につき、連合艦隊司令部から大本営海軍部ほかに、「い号作戦第一期作戦戦闘概報」を打電した。「第一期作戦」というのは、これまでX攻撃と書かれていたものと同じで、次のY攻撃が「第二期作戦」になります。戦史叢書より、現代仮名遣いで転載いたします。

 

 

一  天候不良のため予定を二日繰り下げ、四月七日、X攻撃を実施せり。四月八日、陸攻機をもって敵の遁走船舶攻撃を企図したるも、天候不良のため引き返せり。

 

二  戦果ならびに損害 (詳細、各部隊指揮官の所報のとおり)

(イ) 戦果 撃沈 大型輸送船二、中型輸送船六、小型輸送船二、巡洋艦一、大型駆逐艦一、計十二隻。大破 中型輸送船一、小型輸送船一、計二隻。小破、大型輸送船一、合計十五隻。飛行機撃墜三十六。

(ロ) 損害(自爆および未帰還) 艦戦十ニ、艦爆九。

 

三  所見 無線謀報等により判断すれば、敵がガ島周辺に多数の艦船を集中、積極作戦の気配濃厚なりしも、本作戦により当分、同方面における敵の反攻企図を、撃砕し得たるものと認む。

 

四  第一期作戦を打ち切り、第二期作戦に転移す。

 

 

ゴイサギは猫背

 

 

なお、上掲の戦果のうち、「飛行機撃墜三十六」は、戦史叢書の筆者注として、後に41機に修正された由。これを受けて大本営は、4月9日15時、この戦果を公表するとともに、この日の戦闘を「フロリダ沖海戦」と呼称する旨、発表した。

 

成果があった割に打ち切りとは、戦史叢書によると、続くY攻撃も一回ずつで終わっていることから、消耗を避けるため、当初計画からして一回のみであっただろうと推察しています。その次に連合軍側の資料の要約がある。事前に日本軍がラバウルに集結しつつあることは、連日の写真偵察などにより把握していた。

 

 

次が厄介な話で、ガダルカナルと同様、沿岸監視員の活躍です。連合軍は自らの将兵に加えて、現地人も調達し、見張り番を随所に配置している。この日、10時26分にボーゲンビル島の監視員が、ブカ島から日本軍機が発進するのを見て速報した。続いて、ブインやブカからも報告があり、四波160機以上と見積もった。

 

昼間の戦闘行為ですから、見つかるの覚悟の上ですが、敵は素早く、ガダルカナルやツラギに在泊中だった巡洋艦、駆逐艦、コルベット艦(船団護衛用小型高速船)などには、ムンダ砲撃の任務を与えて、つまり逃がした。そして集められるだけの戦闘機をダガルカナルに集め、サボ島上空に76機が待機。爆撃機は全て「ガ島南西端上空」に退避した。

 

 

連合軍側の被害報告は、ツラギで油槽艦1、コルベット艦2、ガ島沿岸で駆逐艦「アーロンワード」が、それぞれ命中弾を受けて沈没した。航空機の損失は戦闘機7。ソロモン諸島の北上作戦を準備中のところ、この日本軍の攻撃により、10日間の延期となった。なお、同方面の上空は暗雲とスコールで荒れ、米軍機はレーダー頼りの交戦となった。

 

最後に、上記青字引用部分のうち、印象的なのは、これまでと順番が異なり、輸送船から報告が始まっています。最初のうちは、輸送船を沈めても評価の点数にならないと、どこかて聞いて書いた覚えがあるが、ここにきて輸送船の損失がいかに大打撃となるか、身に染みて分かってきたにちがいない。そうとでも思わないと、餓島の兵士も浮かばれまい。

 

 

(つづく)


 


 

カモメ  (2021年1月18日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

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