オシロイバナ

 

 

一連のブログ記事は予備知識もないままに書いておりますので、レンネル島沖海戦や米軍関連のように資料が豊富に入手できると詳しくなるのだが、手元に情報が無いとお手上げ。ケ号作戦におけるトラック環礁の連合艦隊司令部は、逆に戦史叢書ですら、後段で記す前進部隊の概要ぐらいしか記載がない。

 

トラック親分の出番がないほど順調に行ったということなら、それはそれで宜しいが淋しい。では補足資料として、宇垣纒「戦藻録」の補記を参照します。「戦藻録」はこの時期(昭和十八年正月から四月までの第六巻が、行方不明になっている。この空白の期間に連合艦隊関連で起きた出来事を編者が追記してくれている。

 

 

戦後、「戦藻録」の編纂と出版に力添えしたのは、巻頭の「遺子博光の辞」というご遺族の序文に、宇垣纒戦死時に部下の参謀長だった横井俊之氏と、岳父の小川貫爾元海軍報道部長です。横井氏は、横浜海軍航空隊の司令だった。浜空は、このブログのずっと前に二十五航戦の一隊となり、ラバウルに進出する。

 

彼の後任の宮崎重敏司令のとき、ツラギ・ガブツ・タナンボコのフロリダ諸島に基地を置いた。8月7日の連合軍上陸作戦において、アメリカ第2海兵師団らと戦って全滅。ガダルカナルの戦史は、ツラギ発の悲鳴のような緊急電と、その後まもなくの沈黙から始まる。では、「戦藻録」にある、大本営の命令を受けて連合艦隊が立てた方針の概要を列挙します。

 

 

一、 南東方面に基地航空部隊の大部を集中してガ島攻撃を強化する。

二、 引揚時に駆逐艦二十二隻を南東方面に集中する。

三、 潜水部隊をガ島南東海面に配備して、敵情偵知、増援阻止に努める。

四、 第八戦隊をマーシャル群島当方に機動させ、偽電を発して敵艦隊を東方に牽制する。

五、 南東方面艦隊が此作戦を担当し、前進部隊は機に応じ出撃の準備を整えてトラックに待機する。

 

南東方面とはラバウルやショートランドです。すでに上記の(一)から(四)までは、先にその具体例を挙げました。残るは(五)です。その前に一つ、この続きの箇所に、モグラ輸送で使っていたゴム袋を、潜水艦が浮上せずして安全に発出できるようにしたとある。残念だが方法・技術が書いてない。一月末にガダルカナルで糧秣に余裕ができた一因だろう。

 

 

近所の料理屋は毎年、干支で絵が代わる。

 

 

さて、(五)の前進部隊です。この概要が戦史叢書に載っている。私が知る限り、(一)から(四)までは動きがありましたが、この前進部隊が前進以外に何をしたのか知らない。少なくとも、大海戦はしていないはずです。牽制で終わりましたか。少なくとも、大量の電信が飛び交ったはずで、それだけでも陽動の効果はあったというものでしょう。

 

では、戦史叢書「南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで」より。適宜、補足しつつ羅列します。隊名・司令官・戦力の内訳です。まず、①主力。司令は第二艦隊司令長官とあるから、第三次ソロモン海戦以来の近藤信竹中将の役目です。戦力は第四戦隊の「愛宕」、「高雄」。第五戦隊の「妙高」、「羽黒」。第三戦隊の「金剛」、「榛名」。

 

 

次は②警戒隊。司令は二水戦司令官。駆逐艦隊です。司令官は、かつて「金剛」艦長としてルンガ飛行場の艦砲射撃を成功させた小柳冨次少将が、田中頼三少将と交代し着任していた。任務は上記①と下記③の対空・対戦防御および夜戦。

 

続いて③航空部隊。二航戦司令官。第二航空戦隊の角田覚次少将です。空母は「隼鷹」および「瑞鳳」とあり、「飛鷹」は本土にて修理・訓練中。④補給部隊は、日本丸ほかの輸送船。最後の⑤特殊任務隊というのが物々しいが、これはこの時点で修理中あるは輸送などの別行動中の各船の集まりで、即戦力的ではない。

 

 

前進部隊は、1月25日から30日にかけて図演や作戦打ち合わせを行い、30日午後に連合艦隊司令長官より、聯合艦隊電令作第四七〇号という命令を受けた。前進先はダガルカナル島の北方約七百浬。七百浬は1300㎞弱。緯度の一度が100キロ余りだそうなので、これは赤道より少し北だろう(あまり自信なし)。トラック環礁の「北口」より発進した。

 

このあとの戦史叢書の記述によると、以上の方針に基づく作戦行動は一月中に概ね完了し、輸送開始を待つばかりとなった。なお、先の話題ですが、前進部隊は2月8日、帰投命令を受けてトラック環礁に戻っている。そして早くも2月9日には、例の「転進」で有名になってしまう大本営発表が行われた。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

上野恩賜公園の噴水   (2020年8月19日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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