谷中霊園

 

 

前回の続きです。連隊旗の件で、悔しいながらも結論を出せない調べごとをしている理由は、歴史的事実関係がどうであったかということへの関心よりも、軍旗という得体の知れないものに対する当時の軍人の考え方を、少しでも感じ取りたいという個人的な事情によります。

 

そういうことを仮に熟知し得ても、この人生に役立ちはしませんが、先の大戦における陸軍の一種の「動力」のようなものになっているようなので、捨て置けない。前回、歩一二四の岡連隊長(岡明之助大佐)が、自らの部隊に包囲網の強行突破を命じて、最後の動きが始まったところまで書きました。

 

 

この先の経緯は、大別して二説ある。(一)前回参照した辻政信著「ガダルカナル」に引用されている聯隊旗手の小尾少尉の日誌によれば、一行はアウステン山を脱出して密林に入り、そうやく水流にたどり着いて水を飲んでいるときに敵襲を受け、岡部隊長以下、小尾少尉を除き全員戦死。

 

少尉は旗手ゆえ軍旗を腹に巻いて行軍中であったため、そのまま単独行で進み、ようやく出合った日本兵の中に、川口支隊以来の戦友もいて、本人・軍旗ともに無事、ガダルカナル島から撤収されたというのが概要です。

 

歩兵第十六連隊の軍旗(写真とレプリカ) 白壁兵舎にて

 

 

もう一つ、(二)前掲辻書のあとに出版された戦史叢書「南太平洋陸軍作戦<2>」において、「第三十八師団戦闘詳細」を文献とし、前にも参照した黒崎貞明参謀の証言として、九〇三高地の近くで岡部隊長や聯隊旗手の一行と会い、岡大佐が「軍旗は反撃のとき取り戻す」と言ったのをうけて、黒崎参謀は即時回収すべきだと述べ、一同はアウステン山の方向に戻った。

 

同参謀は途中まで同行したと戦後回想している由。戦史叢書はさらに、「総後衛部隊戦闘詳報」においては、聯隊旗手だけが2月3日、軍旗の紋章と房だけ奉じて松田部隊(一木支隊長の後任連隊長の部隊)の前線に到着したと記している。更に異説在り、「静岡連隊(歩兵第230連隊)のガ島戦」には、伊東兵団長が軍旗を取りに戻させたという見聞録が載っている。

 

 

相違点としては、小尾少尉の日記には黒崎参謀と会った話は書かれていないし、旗を腹に巻いていたのと、紋章と房だけ奉持していたのとでは、その価値の違いが私にはわかり辛いが、とにかく外見はずいぶん違う。そして黒崎説に拠れば、岡部隊長らが命を落としたのは、かなり軍司令部に近づきつつあったところから引き返して以降ということになるはずです。

 

これを受けて、世に出た順番としては(一)の辻書、(二)の戦史叢書。そのあと、亀井宏「ダガルカナル戦記」も題材として採用した。最後の部分だけを先に引用すると、岡部隊長の一行は、帰途、固まって腹ばいになっているところを狙撃されたと言われているが、以下引用。

 

 

はっきりしたことはわからない。唯一の生き証人である小尾少尉が一切を語らないためである。小尾元少尉は、昭和五十三年現在も東京三鷹市に健在であるが、筆者は会ってもらうことができなかった。

 

小尾氏は2007年に物故されている。私は1990年代に三年近く三鷹市に住んでいたので、同じ三鷹市民だったらしい。今年4月から市の特別展が企画されているそうなので、久しぶりに三鷹に行こう。

 

 

 

同氏が戦後、沈黙を守った件については、他の資料でも多く見た。当時の連隊仲間なども含めて、誰も何故なのか、分からないらしい。不思議なのは、上記の日記は、辻元参謀にも貸しており、戦史叢書の筆者も読んでいるから、あそこに書かれたことは、本来だれの迷惑にも、本人の恥にもならないからこそ、他者の目に入ることになったはずだ。

 

あとはもう想像の域を出ないが、まず辻書が終戦直後にベストセラーとなり、小尾少尉の日記は、著者の辻本人の記述よりも、臨場感があるように思う(不思議な生命判断の話や、この敵陣突破および軍旗の顛末です)。これがうわっと世に広まり、これこそ「真実だ」となったらば、もう違うことは言えなくなりそうです。

 

 

それに加えて戦史叢書や、黒崎氏の自著も出て、小尾氏の日記に「書かれていない何事か」があったような追加情報が出てきた。また、そういう動きがなくても、小尾氏に限らず、過酷な経験があった元軍人は、よほどの機会がない限り、墓場まで持っていくか、戦友会で分かち合うのが精いっぱいということが、たくさんあるはずだ。私たちにだって、あるのだから。

 

この話題には、まだ続きがある。この岡部隊の撤退のときの部下が、前掲亀井書の取材に応じている。彼は軍旗護衛小隊の所属で、すなわち別の当事者による証言が残されている。こちらも長くなりそうなので、次回に続きます。ここまで、こだわる理由の一つは、軍旗の有る無しで撤退の順番が違ったという意見があるからです。それについてはずっと後に触れます。

 

 

(つづき)

 

 

 

夕刻、スズメの集結  (2020年3月13日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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