第三次ソロモン海戦は、複雑怪奇の展開です。戦闘場面だけで、三晩四日(1942年11月12日~15日)も続く。これまで初日の夜戦および翌日の艦砲射撃を追いかけてきて、これから二回目の夜戦、続いて船団輸送がある。
11月14日に始まった二回目の夜間戦闘は、概略、上図のとおりです。海軍の戦史叢書に載っているのだが、全く同じものを載せている亀井宏「ガダルカナル戦記」のほうが写真に撮りやすかったので拝借しています。ご了承ください。
この図からは、素人に教えてやるものかという強い意志を感じる。とはいえこのまま引き下がるわけにもいかないので、まずは図内の用語と矢印が、それぞれ何を意味しているのか確かめます。戦場は第一回と異なり、主にサボ島の西側で対戦している。
この日の艦隊決戦の主力は、連合艦隊の前進部隊(指揮官は近藤信竹中将)のうち、第四戦隊(重巡洋艦「愛宕」、「高尾」)にくわえて、第一回の主戦力だった「挺身攻撃隊」から合流した、戦艦「霧島」を含む主力部隊。重巡「愛宕」が、近藤司令官の旗艦です。
上図では、文字による説明がないが、右上の22時00分以降、左下(南西方向)に進んでいる太い直線が上記の主力です。この日の部隊名は「射撃隊」。正確にいうと、この射撃隊には、主力のほかに「直衛」も含まれる。射撃隊とは別に「掃討隊」もある。すでに混乱してきました。
便宜的に以下の通り、①から⑤までの五つの部隊に整理します。①射撃隊の主力。「愛宕」、「高雄」、「霧島」。①の任務は、戦史叢書の言葉をそのまま使うと、「ガ島飛行場砲撃」。近藤中将は、この日、先頭切って飛行場に向かいつつ、全軍を統率するという難しくも重い職責を担っている。
続いて上述の「直衛」は二手に分かれており、まず、②「第四戦隊直衛」を任務とする第十戦隊で、巡洋艦「長良」と駆逐艦「雷」、「五月雨」。「愛宕」と「高雄」の援護です。もう一つの直衛部隊とは、③「霧島」の直衛が任務の第四水雷戦隊。駆逐艦「朝雲」、「白雪」、「初雪」。
続いて、④「掃討隊」は、海軍用語でいう「前路掃討」が任務の第三水雷戦隊で、巡洋艦「川内」、駆逐艦「浦波」、「敷波」、「綾波」。前路掃討は資料によく出てくるもの言葉で、単に機雷等の掃討をするだけではなく、哨戒もすれば戦闘も行う。二晩前の第一回夜戦では、「夕立」や「春雨」ほかが、この担当だった。
三水戦は、二水戦と交替してトラックに戻ったばかりなのに、とんぼ返り。さすがの宇垣参謀長も頭が下がると書いている。それに、②の第十戦隊も、③の四水戦も、第一回夜戦を終えたばかりなのだ。なお、陸軍風にいうと「予備」のような後衛がある。その代表者のみ挙げると、「金剛」、「榛名」、「隼鷹」。
連合艦隊は手堅い将棋に似て、まずは小さな駒から先に進める。でも「小を捨て大を取る」というのは、それに成功してからでないと言えません。開戦時、すでに日米の海軍は物量に差があった。これが更に開いていくのを示した図が、手元の戦史叢書の付録にあるのだが、あまり楽しく眺めることができない資料です。
以上の動きを上図で確認すると、①②③の射撃隊は先述のように、太い実線でサボ島の西側に向って会敵し、中央のゴチャゴチャしているところで「霧島」が沈没して、残部は左上に離脱した。
④の掃蕩隊は、図内に「川内」などの艦名が記載されており、射撃隊の左舷(南方)を進んでいる破線が示すように、サボ島の東側を目指した。ただし図示されているように、「綾波」だけ別行動をとることになった。後述します。
この図には併せて、真ん中の上に⑤「増援部隊」の進路も描かれている。これは、船団輸送の直接護衛が当初から定められていた第二水雷戦隊で、輸送船団と行動を共にする。痛いのは本来、⑤増援部隊が属する「外南洋部隊」のうち「衣笠」が沈没し、同じ「エンタープライズ隊」の攻撃により「鳥海」、「五十鈴」、「摩耶」も損害を受けたばかりで、戦力ダウンしている。
対する米軍は、駆逐艦四隻と戦艦「ワシントン」と「サウスダコタ」からなるリー少将の攻撃隊。上図では、「増援部隊」の活字の右下から行動が始まっている白抜きの二重線で、サボ島沖を右回りに進み、エスペランス岬を過ぎたあたりで、①②③の射撃隊と撃ち合いになった。
日本側が上記のとおり個別行動をとり、一方でアメリカ側が大回りの回転行動をとったため、日本の各隊は、それぞれ場所と時間を違えつつ、別個に敵艦隊を発見するという、ややこしい事態を招くことになる。
詳細は後述するが、⑤の輸送船団とその護衛部隊を襲ったのは、主にヘンダーソン飛行場から飛んできた航空隊であり、他方、リー艦隊は日本の射撃隊との決戦に集中している。米軍の戦法のほうが整然としていたのは明らかだと思う。これが当初の作戦通りなのか、それとも、単なる結果論なのか、今の私には何とも言えない。いずれにせよ、強い敵だった。
第三次ソロモン海戦で日本軍は、海軍は戦艦二隻が沈没、多くの駆逐艦等が戦線を離脱し、陸軍は船団輸送にかけた期待が大きく外れた。輸送船は文字通り全滅。このあと大勢において挽回することはなかったのだから、つまり戦争に負け始めた。
この趨勢に関する自覚は、米軍において明確であることを、戦後の海軍の公刊戦史も認めているのだが、当時の神国の皇軍は負けるはずなしと、心から信じていたのだろうか。この海戦が終わった段階になっても、今一押しの気分だったのだろうか。ではまず海戦の展開から始めます。それにしても台風の奴、北上ばかりしとらんで、たまには反転南下せんか。迷惑です。
(つづく)
蝉の脱皮。ガンダルフのごとし。
(2019年8月11日、義母撮影)
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