海軍の戦史叢書によれば、第三次ソロモン海戦とは、昭和十七年(1942年)の11月12日から14日夜にかけて生起した海戦のことであると定義されている。ややこしい戦いになったので、日付で区切らないといけなくなったらしい。「14日夜」は、日本時間で日付が変わった15日まで続く夜戦を含む。

 

これまでの海戦と比較して日数が多い。空母が損害を受けるとすぐに引っ込むような戦闘ではなかったし、後半に輸送船団を巡る攻守も含まれる。一般に、戦闘は勝ち負けが明確な場合と、あいまいな場合があるが、この海戦はアメリカ海軍が”The Battle of Guadalcanal”と名付けたことを以て、米軍にとっては記念碑的な成果であったことは間違いないと思う。

 

 

損害はお互い大きい。そういえば「ノモンハンは日本の勝利」というブログ記事が少なくない。これらに共通した論拠は、後年ロシアが公表した、ソ連側の戦死者のほうが多かったというものだ。幾つもの点で、無残である。死傷者の数は、どの戦争においても不正確であり、さらに時と共に増えたり減ったりする。公表の時代が異なる数値を、単純比較するのは乱暴です。

 

共産主義国家の統計が全く信用に値しないことも、世界の共通認識。さらに、共産主義ソ連を否定してできたのが、現代のロシア共和国です。古代中国の歴代国家の正史が示しているように、自分達がつぶした国家の歴史を悪く描くのは、革命政権の常とう手段。

 

 

もう一つ言えば、戦死傷が多かった方が負けというのも、正しくない。第二次世界大戦の戦死者は資料により多少の違いはあろうが、私が子供のころから、一番多かったのはソ連であり、日独よりも多い。たくさん倒したほうが勝ちだなんて、戦争はボウリングとちゃうで。

 

第三次ソロモン海戦において、アメリカ軍は日本海軍による飛行場爆撃の意図を大きく削ぎ、日本陸軍の船団輸送を殆どと言って良いほど失敗させ、飛行場の奪回という目標に向けて、何の前進もなく終わらせたうえ、その後の戦況を決定的に有利とした。当時の参戦者が皆、そう語っている。特に砲弾・食糧の喪失は、心理的なダメージも相当、大きかったに違いない。

 

 

 

 

連合艦隊の近藤前進部隊が、トラック基地を出発し、そこから分離した阿部挺進部隊が、ガダルカナル島を目指して一路南下を始めたのは、昭和十七年 (1942年)11月12日午前3時40分と海軍の戦史叢書にある。ちょうど、日の出の時間帯。同日の午後3時30分に、田中二水戦司令官の率いる輸送船団がショートランドを出発した。艦砲射撃の当初予定日は翌13日。

 

R方面航空部隊の索敵と、基地航空部隊の攻撃は、先んじて11月10日に始まっている。早くも10日の哨戒において、ガ島南東に重巡一、駆逐艦数隻を発見とあるから、スコット隊を見たらしい。11日には、カラガン隊およびリー隊と思しき船団が航行中であることも知った。

 

同日、ブインとラバウルの基地航空部隊は、飛行場を襲撃した。旗艦「サンフランシスコ」に自爆突入したのも、このときのことだ(米国時間では12日)。日本側の記録では、自爆により三機が未帰還となったとある。

 

 

これでお互い、衝突不可避と覚悟したはずだ。11月12日の宇垣纒「戦藻録」は、「昨日発見せる敵集団は勇敢にも〇三(午前三時)過ぎよりルンガ泊地に侵入せり」と書いた。敵輸送船団の荷役まで見た。続いて航空機の戦果が掲載されているのだが、米国側資料と大きく異なり過大報告あるいは誤認になっている。空母「エンタープライズ」は、戦艦と報告された。

 

戦史叢書もこの点、「飛行機自体の誤認が多い。この点、司令部などで慎重なる検討が必要であった」と省みている。この12日、阿部弘毅少将の挺進攻撃隊は、四水戦の駆逐艦隊と合流した。この顔触れで、「比叡」、「霧島」による艦砲射撃の再現を企図する。

 

侵入予定経路は第一次ソロモン海戦と同様、サボ島南側とダガルカナル島の間、鉄底海峡。夜襲の計画だが、午後遅くになって天候が悪化した。対する米軍側は輸送船からの揚陸を午後2時ごろまでに終えたらしい。ここに三式弾を喰らってはたまらん。カラガンとスコットの両隊は西方から突入してくるはずの日本海軍を待ち受けることになった。

 

 

 

この図は米海軍の「ガダルカナル海戦」にあるもの。この戦いが敵ネイヴィーにとって、「クライマックスであり、ターニング・ポイントであった」と書かれている。この図の前日には、もう先着したカラガン隊が、サボ島周辺を偵察した。

 

 

日本軍が悪天候で隊列を乱しつつあるとは知らず、米国海軍は、一応、上図のような単縦陣で、サボ島沖海戦と同じく、T字戦法に持ち込もうとしていた。ただし、二つの艦隊は実質的に解体・合体してしまい、真ん中に見える「サンフランシスコ」がカラガンの旗艦で、すぐ前の「アトランタ」にスコットが乗っている。

 

ところが日本側も、詳細は次回に触れますが、正確に図のとおりか否かはともかく、真っすぐ西から並んでくるかと思いきや、視界不良や二度にわたる反転のため、隊列が大きく乱れた。「サンフランシスコ」の後ろ側にいる軽巡「ヘレナ」ご自慢の最新式レーダーに、なぜか日本の船団が二つ映った。さらに後方にみえる、別のもう一団が護衛のように見えた。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

カメラ目線  (2019年6月25日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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