前回の続きです。陸軍の十月総攻撃が失敗に終わった原因分析として、宇垣纒連合艦隊参謀長が日誌「戦藻録」に書きとどめた記事をみています。前回、大項目の四点のうち、二件目まで進みましたので、今回は三件目。青字で再掲します。

 

○ 統率指揮の不良

(イ) 軍参謀長進出しあらず、幕僚の掌握不良。

(ロ) 軍は全ての部隊を二師団長の指揮下に入れ任せたが、後は握り過ぐる位まで管掌す。

(ハ) 参謀本部員、師団参謀各部に分れ、統一なき干渉をなす。

(ニ) 二師団長持病神経痛、師団参謀不良

(ホ) 敵情偵察の不十分、状況判断の不良。2D上陸時敵機跳梁跋扈し、西方より押すこと不可能なりとして大迂回奇襲作戦に変更、軍司令部同意、飛行写真により飛行場南部敵陣地の状況等を打電せるも、師団参謀これを握りつぶせり。

(へ) 川口支隊長の指揮放棄、命令による攻撃正面を不当とし意見具申より不服従となり、司令部附となし連隊長をして指揮せしむ。(廿三日)

(ト) 岡部隊長の命令違反、西方海岸よりの進出命令に従わず、独断南部寄りに進出。退避命令アウステン山北部よりを同南方迂回に独断実施す。

 

 

さっそく私が受けている違和感から申し述べます。項目名が「統率指揮の不良」であるにもかかわらず、百武第十七軍司令官に関する項目がない。(ロ)は軍が主語ですが、問題意識はその後半部分の掌握し過ぎにあります。(ホ)の「軍司令部同意」も、この文全体を読むと、むしろ作戦担当の批判です。

 

別に百武軍司令官のあら捜しをすべきだという意味ではなく、これだけの損害を受け、目標未達の敗北ですから、軍司令官自身の意見や、周囲の軍司令官に対する評価は当然聴くべきだと考えます。

 

しかし、その形跡はない。なにしろ第二師団の大半は、丸山道を撤退中で、これでは欠席裁判のようだ。さらに海軍の報告者も宇垣参謀長も、そのままこの分析結果を受け入れているらしい。このような「軍司令官が実質的に不在」であること、それ自体が敗因かもしれません。これは長くなりそうなので、後に別途、検討します。

 

 

さて(イ)から(ト)まで並んでいますが(これが順不同なのかどうかも不明)、大別すると二種類あるように思います。一つは参謀の問題、もう一つは将士(丸山第二師団長、川口右翼隊長、岡部隊長)の問題です。

 

(イ) 軍参謀長進出しあらず、幕僚の掌握不良。」および「(ハ) 参謀本部員、師団参謀各部に分れ、統一なき干渉をなす。」の共通点は、幕僚の取りまとめ役がいなかったということだと感じますが、(イ)はあたかも、宮崎参謀長がラバウルにとどまったため、統一を欠いたような、因果関係として読めてしまう。

 

宮崎参謀長は自身もガダルカナルに進出すると言ったが却下されたと日誌に書いている。仮に彼が進出しても、幕僚の掌握が出来たかどうか。大本営派遣参謀と軍参謀と師団参謀の混成であり、(ハ)にあるように現地拠点も、場所が離れ離れ。

 

 

(ロ)(ニ)(ホ)にも共通点があります。師団参謀を指弾している。この報告者たちが話を聴いた相手には、前記のように、そのころ丸山道をさすらっているはずの丸山師団長と第二師団参謀が含まれているとは思えない。別の誰かの意見です。

 

(へ)と(ホ)は、元川口支隊の二人、川口右翼隊長と岡連隊長に対する批判です。いずれも不当である。川口支隊長は確かに頑固で、強い意見を出しました。でも指揮を自ら放棄したのではなく、その地位と権限を剥奪されている。

 

 

岡部隊は命令違反と云い難い。当所の軍命令においても、住吉支隊は主力が一本橋・アウステン山方面へ進み、一部が海岸線を進むとなっており、住吉支隊長は、前者を岡部隊の任務、後者を中熊部隊の任務としました。

 

たしかに行軍後に南へ回ったのも、一本橋にたどり着けなかったのも事実ですが、それは、できなかったからであって、さぼったわけではない。迂回した主力と同様の結果です。

 

かくのごとく、第二師団と川口支隊に類のない悪意を表明している人物を私は知っているが、ここでは根拠がないので、今は黙ります。あとで言うのが楽しみなのだ。そもそも飛行写真に反応したのは、その川口少将だけではないか。

 

 

先般、手記を参照した山本筑朗元参謀は、「究極の統帥」という言葉を使っています。これは統帥権を持つと明治憲法に定められた天皇の統帥を意味しているのではなく、手記を読めば歴然としていますが、百武司令官の決断を指しています。

 

山本参謀もラバウルに残された「消極派」ですが、年が明けて撤退が確定してから、百武司令官の支援のためガダルカナルに渡り、山本のやつ、死にに来たと言われたそうだ。百武司令官は撤退の責任を背負って死ぬ気でした。本来、司令官とはそういうものでしょう。これだけ部下が死んだ。生き延びる方がよほど辛いし不名誉です。

 

 

しかしながら上記の青字引用の部分は、言わずもがなの前提として、指揮命令をすべきは参謀であるという大本営の組織体質が、はっきり出ていると強く感じる。軍や師団には名実ともに、司令官という将がいて、戦闘部隊の序列と役割が明確にある。しかし大本営にはオフィス的な組織しかない。でも大本営は下には強くて偉い。彼らだけが現人神に会えるからか。

 

このためか、現地の行動が気に入らないと、司令官はそのままで、参謀長のほうを更迭し、次いで大本営参謀を現地に派遣し、さらに、「今一押し」、「形而上下」のような細かくて長い電報まで出して容喙する。最後は課長まで出張に来た。でも、その上役は危ないから来ない。

 

 

前にも話題にしました。戦闘が激しくなったころ、ニミッツがガダルカナルまで、マッカーサーがニューギニアまで督戦に来ている。写真も残っています。彼らは野戦の最高司令官だから来ます。大本営の陸海軍部には、そもそも戦闘の責任者がいませんから、来ても仕方がない。

 

この点については前述のように、稿を改めて考え続けます。それにしても、敗因分析というのは戦争のみならず、スポーツでも将棋でも同じで、次なる戦いのために行うものです。そして、ここには敵情に関する情報が皆無であり、まるで自滅したかのような印象を残します。

 

 

(つづく)

 

 

 

遠目で判然としないが、シギかな?  (2019年7月14日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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