前回のつづき。参考図書も前回と同じく「実録太平洋戦争 2」より、奥宮正武「南太平洋開戦」。ただし本ブログでは、この海戦の記録はまだ先の話なので取っておき、この中から別の話題を二つ拾います。
奥宮さんは「飛行機乗り」であるが、第一段作戦の終了と共に海軍の人事異動があり、彼は第四航空戦隊の参謀に任命された。上司は司令官の角田覚治少将である。担当は航空参謀。この職は、いかにあるべきかと考えた。その考察の経緯と結論を書いている。
海軍の参謀は陸軍のそれと違い、全く影の存在で、職務上の人格がない。あらゆる命令は長官・司令官の名において出され、従ってその責任の全部は指揮官にある。陸軍にあるような参謀命令などというものは許されない。しかも、私は自分では飛ばずに人を飛ばさねばならぬ。考え抜いた挙句、私は潤滑油のような存在になろうとした。(後略)
初めて聞く話だ。陸海軍には、そういう違いがあったのか。現代の組織では、海軍のほうが正統だろう。指揮命令系統が違う相手を動かす必要があるときは、共通の上司まで遡って指示を出してもらう。「潤滑油」というのは、後段で指揮官と搭乗員のつなぎ役になろうという意味で、これも現代の中間管理職によくある発想に似ている。
一方で、陸軍の「参謀命令」というのは何か。正式な制度だろうか、それとも、慣習法だろうか。たしかに、陸軍参謀は口出しが多いという印象があって、児玉源太郎、石原莞爾、辻政信と個性丸出しだ。そもそも、組織の頂点たる司令部の固有名詞が「参謀本部」だ。海軍は普通名詞でも使える「軍令部」である。
必要性・現実問題という観点から見れば、海軍はたいてい参謀が司令官と同じ船に乗っている。運命共同体だ。そこいらに上司がいる。だが、陸軍は戦闘中などに、両者が離れる可能性がある。マリアナの戦いでも、それが起きた。サイパンに陸軍拠点の第三十一軍があった。
その司令官が島を出ている隙に、アメリカ軍がサイパン島に攻めてきた。海を埋め尽くす大艦隊で、司令官はグアムからサイパンに渡ることができず、サイパンの戦いで陸軍は、参謀長が正式な代理として指揮を執り、敗れて自決している。
言われてみれば、ガダルカナルやニューギニアでも、海軍と比べ陸軍は、参謀がよく表に出てくる。川口支隊長と議論し合ったのも、ラバウルの参謀たちだった。責任を取らされたのは、川口さんでも百武さんでもなくて二見さんだろう。そして間もなく、辻政信大本営参謀が来る。十五年戦争は、関東軍の暴走から始まったとよく聞かされたものだが、出てくる名前は参謀ばかりだ。だいたい東条の経歴がそうだ。
ガダルカナルのこれからは、そういう視点も持ちながらみていくとして、今回のもう一つの話題は、奥宮参謀の初仕事となるAL作戦。角田司令官とともに、旗艦空母「龍驤」に乗った。「隼鷹」の攻撃隊が、ダッチ・ハーバーを攻撃中の6月5日の午後、ミッドウェーから凶報が届いた。三空母の火災・大破・沈没。
連合艦隊主力は、角田司令官の第二機動部隊に対して、「第一機動部隊に合同せよ」と命令してきた。いますぐミッドウェーに来いというのだ。まだこの時点では、南雲・草加のコンビは夜襲を予定していたと思う。山口多門の「飛龍」も健在だった。
急がねばならないのだが、前回の事情により、ダッチ・ハーバーの攻撃隊はなかなか戻らない。濃霧から霧雨が降り、夕闇が迫る。収容を待つ角田司令官は、探照灯を点けた。さすがです。用意していた花火まで打ち上げた。奥宮さんは、こう書いている。
私は時計を見る。「司令官、飛行機の収容はあきらめていただきます」。そう決断しなければならないことは、理論的には当然であったが、口に出すことはなかなかできない。勇敢ではあるが、人情にもろい司令官は、どうしても自分から言い出せないように思われる。
やがて「龍驤」は、探照灯を消して、南へ向かった。飛行機から、「われ帰途を失し、申し訳なし」、「空戦により撃墜一機、燃料あと五分」と電信が入る。ソロモンの海と異なり、ここでは海水に浸かったが最後、二十分ともたない水温。「龍驤」らはミッドウェーに間に合わず、陽動作戦どころか兵力分散の典型的な失敗例となった。北の海で、精鋭の搭乗員を失った。
アッツ島とキスカ島の占領は成功した。もっとも、アメリカ軍は、これを長い間、放置する。先に海軍がガダルカナルを、陸軍がニューギニアを攻めた。アッツ島の守備にあたった陸海軍が全滅したのは、1943年5月。「太平洋戦争で最初の玉砕」と言われるのをたまに聞くが、正確には最初の大本営発表。「最初の玉砕」は、ツラギ・カブツ・タナンボコの諸島だった。
(おわり)
先日お詣りに行ってきました。
(2018年5月5日撮影)
.
