tindrumのキモチ

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逆らえない衝動のおともに

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サンドウィッチマン風ネタ【宝くじ売場】

 

 

 

 

「うーん、金ねーなぁ。おっ、宝くじ売り場か。なんか興奮してきたな。宝くじでも買ってみようかな。」
「いらっしゃいます。」
「ませだろ!」
「ま・せ・か!」
「うるせーよ、バカじゃねーの。あのな、宝くじを買いてーんだよ。」
「あっそうでした、からくじ売り場へようこそ。」
「たを省くなよ!カラくじじゃ意味ねーだろ、ちゃんとたをつけて言えっつーの!」
「すたみたまたせたんた。」
「そういうことじゃねーだろ!もういいや、ちょっとな、一発大金を当てたいんだよ、宝くじのことはよく知らねーからどんなのがあるか教えてくれよ。」

 

 

 

「はい、じゃ他の人には内緒にしてくださいね。」
「いや、そんな秘密の話じゃないだろ!」
「ええっ?秘密の花園?」

「違うわ!早く説明しろよ!」
「まず今なら1等前後賞合わせて7億円のドリームジャンク宝くじというのがあります。」
「夢のクズかよ、名前が悪いなこれな!」
「私はクズの夢だと思っています。」
「余計なお世話だよ!なんか腹立つな。他にはどんなのがあるんだよ?」
「数字選択制の宝くじで、トロ7、トロ6、ミニトロなんかがあります。」
「寿司屋か!ちょっとうまそうだけど。」
「あと、身代金は小さくなるんですけど…」
「なんで身代金なんだよ!当せん金だろバカヤロー!」

 

 

 

 

「当せん金は小さくなるんですけど、同じく数字選択制のでナンマイダー3とナンマイダー4がありますね。」
「神だのみかよ!」
「どちらかというと仏様だのみですね。」

「ほっとけ!バカヤロー!」
「ちょっと何言ってるのかわからない。」
「うるさいわ!恥ずかしいなぁ!じゃそのナンマイダーはどうやって買えばいいんだよ。」
「はい、ナンマイダー3はお好きな数字を3つ、ナンマイダー4はお好きな数字を4つ選んでいただいて、3つとも、とか4つとも、とか当たると1等ですね。示談金は小さくなりますがその分確率は高くなります。」
「当せん金だろうるせーな!よし、じゃあ1番簡単そうなナンマイダー3を買ってみようかな。」

 

 

「ではお好きな筋を3つ選んでください。」
「御堂筋、堺筋、なにわ筋…って、いくよくるよか!筋じゃなくて数字だろ?わかってるわ。」
「やっぱりその筋の方でしたか。」

「外見で判断するなよ、バカヤロー!」
「お客様だと8・9・3はいかがでしょう。」
「カタギだよ俺は!」
「じゃあ、5・6・4あたりで。」
「殺し!何もしてねーわ!ぶっ殺すぞ!」
「じゃあ、4・1・5ですね。」
「良い子?また極端だな。ちょっとピンと来ねえなぁ。」
「8・0・8とか。」
「テクノか!」
「9・0・9とか。」
「ハウスか!このあたりウケるお客さんかなり少ないだろ!もっと普通なやつを頼むよ!」
「8・2・0」
「…?やつを?なんかしっくりこねーな。」
「ハ・ヅ・レとも読めまさ。」
「まさか!もういいぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

















3・11からまもなく半年になります。

 被災地の復旧・復興がなかなか進まず、未だ多くの被災者の方が苦しんでおられることに心が痛みます。
 政府・与党の対応全般に失望を覚えている方は、それこそ被災地のみならず全国に大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

 一方で、被災地において自衛隊、消防、警察、地元行政、ボランティア等々が行ってきた災害支援活動はめざましいものでした。

 特に自衛隊は約2万人の人命を救い、約1万体のご遺体を収容し、約3万トンの水と約500万食の食事を支援するなどしました。
 が、彼らの奮闘は、こうした数字だけでは推し量ることができません。


1カ月ほど前ですが、「SAPIO」8.17/24号でこんな特集が組まれました。

■【日本人が忘れてはいけない「3・11後」を支えた人々の「奮闘の記録」】震災と闘う自衛官が「背負うもの」〈120人の証言〉

 東日本大震災の現場で奮闘された自衛官の方々120人の証言が掲載されています。
 匿名の方もおられますが、多くは実名での証言です。

 今日はこの特集の中から、私が特に感動を覚え、皆様にぜひお伝えしたいと思ったエピソードを1本紹介します。
 被災した子供たちが自衛隊員に送った感謝の手紙がテーマです。


<触れ合い>
家族を失いつつも、小さな手が綴ったエール
「お母さんを見つけてくれてありがとう」少年が送った感謝の手紙が自衛隊を鼓舞した

石井宣広3曹 陸上自衛隊 第14旅団 第14戦車中隊
末吉洋明1佐 陸上自衛隊 第9師団 第21普通科連隊







石巻を襲った津波による最大の悲劇の一つが大川小学校の壊滅だった。石巻市立大川小学校は、児童108人のうち74人が死亡または行方不明となった。学校周辺や校舎内では、自衛隊による必死の不明者捜索が行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれた。そして震災から約1か月後−−。

 「すいません!」

 4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、突如、背後から声を掛けられた。

 その可愛らしい声の主は、ワンピースを着た小さな女の子だった。少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。

 「これ、読んでください……」

 石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。

 そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。




≪じえいたいさんへ。
  げん気ですか。
  つなみのせいで、大川小学校のわたしの、
  おともだちがみんな、しんでしまいました。
  でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
  わたしもがんばります。
  日本をたすけてください。
  いつもおうえんしています。

  うみより≫


 石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。

 「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」

 その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。

 井上旅団長は言う。

 「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲(みなぎ)ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」

 少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼りつけられた。

 東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。その中には、いまだに行方不明の6人の児童の写真もあった。

 その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を探し続けていたのである。


[自衛隊を鼓舞した被災地の子供たちの手紙]



















『My Bloody Valentine - Only Shallow』 



















  [気づきなさい。気持ち悪い男だと。]  








 
 
 どーも、ジブンです。 








 『I'M A STEADY ROLLIN' MAN (1937) by Robert Johnson』 







 父方の父
ジブンの祖父に当たる人は、そもそも「祖父」ではありませんでした。
 





















祖母は再婚で、その「祖父」となった人がジブンの父親の父になりました
3年くらい前にその「祖父」だった人の亡くなった知らせを聞いたウチの母親から
「同行」を求められて、斎場に行ったものの

そこには市役所の方が来ていました。
ハナシを聞いてみると
 





















「祖父」だった人は7人兄弟の末っ子で、学校には行かせてもらえずに家事手伝いをさせられていたそうです。


当時の「家事手伝い」は、現代のソレとは比にならないほど
少年だった「祖父」には過酷なものだったと思います。
 






逃げ出すようにして九州・長崎市から郊外へ
ずっと職人の下働きをしながら祖母と出会ったそうです。
 
学歴が無いまま、文字の読み書きが出来ず
言葉も訛り交じりでなかなか喋れず、辛い青年時代を送ったことと思います。
 


















そんな「祖父」は
祖母も父も亡くなり、「祖父」自身も亡くなったときには市役所から保護された生活を送っていたので
身寄りに市役所から連絡をされたとき
 
「余計なことはしてくれるな」






と、7人いた兄弟のうち、すでに3人しか残っていなかった兄弟から拒絶され















肉親から断絶されたカタチで棺とともに焼かれていきました。
享年86歳。
 















男性の寿命としては大往生です。
ジブンの弟が口やかましく「祖父」に
「補聴器を付けろ」と言っていたときにうれしそうにしていたのが印象に残っています。
 
肉親に看取られて逝くのが、やっぱり一番だと思うんですよね 










でわ、股。



 















『Robert Johnson, 'Love in Vain'』 



















1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:03:40.370


兄「いやぁ!やめて吸わないで!」




2:海老天 ◆EBITEN.OiVVZ : 2016/10/28(金) 18:04:34.576





>>1の母です
皆さん申し訳ありません





3:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:05:18.798



>>1の父です
皆さん申し訳ありません




4:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:05:50.838





>>1の犬です
皆さん申し訳ありません




5:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:05:51.744




>>1です
皆さん申し訳ありません







6:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:06:49.525








9:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:07:45.654


なんだこれ




10:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:07:52.345




ちっ、>>1の家族総出で謝られちゃ
許すしかねえわな










【〇んぼのワタシ】
 
何気ないいつもの風景
何気ない普段の給食の時間
ありふれたその光景の中、無駄にテンション上がった放送部員が
その時間、その瞬間に流した放送は

 


[1980.12.27・武道館]







 
ビニール袋に圧縮されて入っていた“ウドン”の封を切ったと同時に始まったオープニングの快音
ウドンをスープ汁に漬け込んでいけば Riot in Lagos のリズムが流れ出し
食パンにマーガリンを塗って口にほおばる頃には “迷曲”Rydeen のシーケンスパターンで阿鼻叫喚の空間になった。
 








そんな類稀な給食時間の最中に、とあるクラスメートがポツリと言った。
 
「この曲が無ければ、もっとかっこよかったのになーww」
 












隣にいたもぅ一人も二度頷きながら話し出す。
 
「変な歌い方だしなー、ときどき叫んでるしww」
 
















確かにそれは、一見一聴すれば何の曲かはわかったし
どう擁護してもフォローにならないくらいの音程の高低差は否めなかった。

 








駄菓子菓子!
 








それは自分たちがあまりにも音楽に無知で
浅はか過ぎていたことが、後の30年経ったときにわかったこと。
 












そう
この曲がこのセットリストに
このライブの流れに、この曲をYMOが演奏することが「かっこいい」ことに
中学生にはわからなかったのだ。
 
言うなればコレは[トータルコンセプト]という、ある意味
サブリミナルとでも言うべきメッセージが隠されていたのだ。
 












巷では
「無機質な音楽」
「非人間的なサウンド」
「心がない音」
「暗い曲」
「歌がない」
 
等々、世界を演奏しながら回ってきて華々しい礎を築いてきたYMOの影で
惨憺たる酷評もまた、彼らの評価の範疇だった。
 
















そんなYMOのイメージや先入観を逆手に取り、若かりし矢野顕子の音程があるのかないのか分からなくなるような歌と
「無機質」とは縁遠い“ロックンロール”とも思えるタイトな8ビートは
異質でありながらYMOの奥深さを際立たせることに繋がって、よりバンドのキャパシティが見る者聴く者を翻弄させることに成功していた。
 



そして



それは同時に“罠”でもあったことに気付けない「中学生」や
先入観という老害への挑戦状でもあった。
 









自分たちのつくった音楽で
自分たちの“意志”を伝えることの重要さを知ったのは
30年前にすでに教わっていたのだ。
 
知ることと理解することは、似ているようで実質的な意味は異なる。また
『やれることをやる』コトと
『やるべきことをやる』コトも、まったく意味は異なる。
 













大人になったことと、成長すること
が違うことに気付けない大人には
なりたくないよね。
 
 
ご清聴、ありがとうございます。

 
      














でわ、股。













37:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2016/10/28(金) 18:21:11.772


犬にまで謝罪されたら許すしかないだろ




















  『YMO - Kang Tong Boy (Budokan 1980)』
  

 




















  どーも、ジブンです。











jazzやってる「センセー」がいたのね講師の





バンドってかたちでマンスリーでスタジオの1室でセッションイベントとか主催してて
「地元にももっと音楽を楽しめるスペースを」みたいな意味も含めて
 







あの人らの演奏見て聴いて
やっぱり生の音の音圧てのはデータやNETからは得られないものがあるんだな
って、すごい実感できた。









で、コレがまったくの偶然だけど










たまたまYouTubeの関連動画で聴いたウェス・モンゴメリーの動画があって
この人はとにかく




飛行機かダメで、タバコが好きで
滅多にテレビに出ない人らしいことを後になって聞いたんだけど



その人がわざわざ遠征して出演したテレビ番組があって
でも番組といっても


司会者が紹介したのに、全く演奏を始めるわけでもなくタバコ吹かしてマイペース
バンドのメンバーと談笑しながら

そろそろやるか」みたいにやっと演奏を始める動画














その演奏を見て「センセーに似てる」って感じて
あるとき、付き人の人に聞いたら
「(センセーの)心の師なんですよウェス・モンゴメリー」
と教えられた
なんかね
 
 










 軽く感動したわ 










  なにかを教えられたり
密に話したりしたわけじゃないのに


ウェス・モンゴメリーの生きざまを通じて
センセーが伝えようとした片鱗を
感覚的に感じられた気がしたのね。







それで音楽的に技術が上がるとかじゃないけど
知識がめっちゃ広がったとかじゃないけど
 







視野が広がったつーか
捉え方に幅が出たつーか





受け入れて
昇華させる器が大きくなった感じつーか






そゆのがたぶん














「経験値」に繋がるんだと思った。











                 でわ、股。