日本は「老害」という言葉があり
昔から姨捨山など、老人になり使えなくなると
山に捨てられるという運命でした。
モラルが進んだ現在も
あまり老人が大切にされない世の中になっています。
それとは真逆にインドは老人を敬い、とても大切にします。
それが他人であっても老人は敬われる対象です。
それはなぜなのか?
おそらく日本には「敬われる」ほどの智慧を持った老人が
あまりいないのだと思います。
本来、私たちは体力は衰え、体は使えなっていく代わりに
生きてきた分の智慧を獲得していきます。
しかし、身体も使えず、智慧さえもない老人は
ただの老害になってしまいます。
なぜ智慧がないのか?
それは物事を物質的に捉えていると
そこに智慧は生まれません。
現代人は特に物質が好きですね。
そうなると日々生きていても、内観することもなく
自然に触れず、テレビばかりを見て
外側のエンターテイメントばかりに気を取られ
とても薄っぺらい人間になってしまいます。
そんな人を誰が敬うでしょうか?
エンターテイメント。
それはそれで楽しみもありますが、突き詰めて考えたら
毎日美味しいものを食べたり、お洒落な服を着たところで
何になるのだろうなと虚しさを感じます。
現代人がグルメとかファッションとかを息抜きとして、
あるいは一時的な幸せとして求めることは否定しませんし
どんどん求めてもいいと思います。
しかし、それで人生が満たされるわけではないということです。
自分を満たすためには自分自身を知らなくてはなりません。
それを抜きにしてお洒落になりたい、もっと美味しいものを食べたい
もっと美しくなりたい、かっこよくなりたいというように、
常にもっともっと、あれもこれもと求め続けても
永遠に満たされないまま生きていくことになります、
やはり最終的には自分自身を知ることが、
普遍的に人間誰もが考えるべき問題なのだと思います。
自分自身を知ることとは?
私は会社員で、三人の子供がいて、パスタが好きで、
ついつい夜ふかしをしてしまうのがダメだとわかっています!
これが自分自身を知っているという意味ではありません。
では自分自身を知るとはどうやって?となると
やはり、ヨガや瞑想といったツールを使わないと見えてきません。
だから私たちはヨガを学ぶのです。
瞑想をするのです。
自分自身を知るために。
そしてそればかりは
ただ単純に歳を重ねたから獲得できるものではありません。
自分を知る旅は時間がかかります。
だからこそ、長い間、年月をかけて
自分に疑問を投げかけながら
向き合ってきた経験と、日々の経験が
智慧となり、そういった老人は老害扱いされないのです。
もちろん「老害」とは不適切な行動からくるものもありますが
智慧のある人はそもそも人を傷つけず、
他者を敬い、適切な行動ができているのです。
ヨガってただのエクササイズ健康法と捉えがちですが
もう少し踏み込むと色々な根源が見えてきます。
常に真実は一つなのです。