さて、前回は2018年9月に手術、その後5ヶ月後に無事に松葉杖が取れたところまでお話ししました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、術後は月に1度ランマーク皮下注射という骨巨細胞腫用の注射を計5回行いました。

これが保険効いても1万5,000円くらいします。懐が痛かった。。

ランマーク皮下注射とは、腫瘍によって骨芽細胞が刺激されて分泌が活発になったRANKLという物質の活動を抑え、過剰になっている破骨細胞の活動を適正なものに抑えるための薬です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


松葉杖の5ヶ月間はできるだけ外に出ないようにしていましたが、どうしても外に出なければいけない用事の時だけは外に出ざるを得ませんでした。

日常を当たり前のように暮らせる事って、本当にありがたい事だなぁと思います。足が健康でなければ思うように活動できませんし、旅行に行くことだって憚られます。

旅行好きで月に一度は旅行に行っていた私にとって、旅行に行くことができなかったのは結構なストレスでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時は周りも結婚式ラッシュだったため、友人の結婚式に松葉杖で2件参加しました。

今思うとちょっと無茶したなぁと思いますし周りから見るとシュールですが、スピーチも頼まれていたため仕方ありませんでしたね。。

  ↓こんな感じ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松葉杖が取れてからは、階段の昇り降りが少し変な歩き方になっていたものの、週に1度のリハビリをしながら

これまでとは何ら変わりのない日常生活を送っていました。

普通に友達と飲みに行ったり、旅行へ行ったり、そろそろテニスも復帰できるかな〜という感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じで日常を過ごしていましたが、悪い知らせはよくないタイミングで来るものです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手術からちょうど1年後の2019年9月の初旬、前日にMRIの検査を受けていましたが、先生から電話がかかってきました。
それは、再発の知らせでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再発の可能性がある病気であることは理解していたものの、
「絶対に再発しない」「自分なら大丈夫」と言い聞かせ、再発した時のことを考えたくない自分も居て、
できるだけ病気の事は考えないように生活していました。
そのため、毎回大きな恐怖感とともに通院していたことを覚えています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再発の知らせを受けた日の1週間後には、当時お付き合いしていた人(今の妻)との入籍日を控えていました。
「これから先もこんな感じで再発を繰り返して、迷惑をかけ続けて、果たして私はこの人を幸せにできるのだろうか」と自分に自信がなくなってしまい、
再発の知らせを受けた直後は駅のホームで泣き崩れてしまい、しばらくの間動くことができませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし妻は、そんな状況でも迷わずに「私を支える」と笑顔で言ってくれました。
本当に感謝です。何があってもこの人を一生かけて幸せにしよう、と心の中で固く誓った瞬間でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうして無事に入籍日を迎えることができました。
入籍日の翌日は台風が関東を直撃する予想だったため、急遽入籍日の夜に出社を命令されたのは今でも良い?忘れられない思い出です。
 
 
 
 
 
 



つづく
(次回以降も私が経験した闘病に関する事を書いていきますので、よければ皆さまフォローお願いしますニコニコ)

さて、前回は

テニスをしていて膝に違和感を感じる→ただの筋肉痛→一向に治らない→病院を変えたところすぐに精密検査を受けるように指示される

所までお話ししました。

今回も続きを書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生から最寄りの大学病院を紹介され、不安な気持ちで病院へ行きました。

MRI, CTを撮り、正確な診断をするために生検検査を受ける事となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生検検査とは、病変の細胞を実際に一部採取する事で、良性/悪性などの正確な診断を下すために行う検査です。

今回の生検検査は、全身麻酔を伴う4日間の入院による検査でした。

傷口はほんの数センチで、手術自体も1時間程度であっという間に終了しました。

 










初めての全身麻酔でしたので、何が何だか分からずにとても緊張したのを覚えています。

麻酔が入ってから3秒も経たずあっという間に意識が飛びました。笑

手術室は「ドラマでよく見るようなオペ室そのまんまだなぁ」という印象でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

退院後、診断が出て次の手術をするまでの期間は、片方の松葉杖で生活をしました。

初めての松葉杖でしたので、不自由な事の多さにとても驚きました。スタバで買ったコーヒーを持って帰ることができなかったり、お風呂に入るのに苦労をしたりと。


それと、電車やバスに乗っていても周りの人は意外と気付かずにぶつかってくる人も多いので、外に出る時は細心の注意が必要です。

やはり実際にこのような状況になってみないと、大変さは分からないものですね。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約2週間後「骨巨細胞腫」と診断され、その後2018年9月に手術を行いました。

骨巨細胞腫とはどのような病気なのかについては、また次回以降のブログに書いていきたいと思います。

<その時のレントゲン画像のイメージ>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術の選択肢としては、以下の3つの候補から選ぶ形となりました。

①搔爬、人工骨(いずれ自分の骨に変わっていくタイプのもの/β-TCP)による補填

②搔爬、骨セメントによる補填

③人工関節による置換

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれメリット/デメリットがあるのですが、いずれ自分の骨に戻っていくことで将来的な影響が最小限に抑えられるという事で、①人工骨の治療法を選択しました。

また、人工骨の補填に加えて、骨の強度を強くするために自身の腰の骨(腸骨)も採取して外側の部分に移植しました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術は3時間程度で終了し、その後2週間の入院をしました。

術後は膝ももちろん痛かったのですが、採取した腸骨の部分の痛みが酷く、痛みで寝返りがほとんどできずに3日間ほぼ寝られませんでした。

<術後約半年のレントゲン画像はこちら>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、退院してから約5ヶ月間は松葉杖生活をすることとなりました。


人工骨(β-TCP)の場合は自分の骨にいずれ変わっていくのですが、強度が出てくるまでに時間がかかるのでそれまでに荷重をかけてしまうと壊れてしまう可能性があります。

そのため、最初の2ヶ月は全く荷重をかけてはいけない生活をして、その後荷重を1/3, 1/2, 2/3と徐々に負荷をかけていくリハビリを行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負荷を全くかけてはいけない」とは、バランスを崩して体重をかけてしまったらアウト、

という事です。

これはなかなかのプレッシャーで、特に通勤電車が本当に大変でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の仕事は事務作業がメインだったため退院後早々に復帰を果たしましたが、毎回タクシーを使う訳にもいかないのでこれまで通り電車、バスでの通勤をしました。


満員電車の時間帯を避け、快速には乗らずに各駅停車に乗ったり、周りの人に助けられながら工夫を凝らすことで何とか過ごすことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、めでたく5ヶ月後の2019年1月に松葉杖が取れ、普通に歩行ができるようになりました。

長期間の松葉杖生活であったため、松葉杖なしで歩けた日には感動して泣いてしまった事を強く覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回に続く

今回以降のブログで、
私が「骨巨細胞腫」という病気と
どのように向き合ってきたのかを
書いていきたいと思います。






2年前(2018年)の初夏のとある日、私は学生時代からの趣味であるテニスを楽しんでいました。 




久々に4時間程みっちりと練習をしたためか、
全身が2日間くらい筋肉痛でしんどかったのを覚えています。







数日後、何故か右膝に筋肉痛のような痛みだけが残り続けたため、整形外科にいったところ

「ただの筋肉痛でしょう

という診断をされ、湿布を処方されました。








しかし、
湿布を貼り続けましたが一向に治らず。










その頃、大阪のUSJに遊びに行った時、
バスから降りる階段で少しバランスを崩してしまい
右足で踏ん張ろうとしたところ、
全く力が入らずに転倒してしまいました。










この一件で、
「もしかしたらこれは、ただの筋肉痛ではないのかもしれない」と違和感を感じました。













そこで、整形外科の先生に再度相談しました。
しかし、先生からは

「所見から筋肉痛でしょう

とレントゲンも撮らずに診断され、
湿布に加えて、ステロイド注射、電気治療を行いつつ様子を見る事となりました。







今思えば、
この時点でこのような適当な診察に違和感を持ち、
他の病院にあたっていればもう少し早く発見できたのだと深く反省しています。








そこから更に1ヶ月後、
テニスをしていてサービスを打った時に激痛が走りその場で動けなくなってしまい、
翌日に違う病院に診察に行きました。










その病院での診察は、
「レントゲン画像で、大腿骨があるはずの部分が黒くなっている(=骨以外の何かになっている)」
「その部分には腫瘍があるかもしれない」
「すぐに近くの大きな病院で精密検査を受けてください」
という内容でした。








私はこれまで入院すらした事のないような、病気とは無縁の生活を送っていたため、
「腫瘍」という言葉を突きつけられた私は、
大きな動揺とショックを受けたのを鮮明に覚えています。







次回以降は、第1回目の入院、手術について書いていきます!