静岡県掛川市 高天神城 攻城257 (2025年5月中旬訪問)
続百名城No147 51/100
徳川家康が、高天神城を攻略するために築城した、横須賀城を後にして、車で10数キロ、20分前後の高天神城に行きました。家康の物語には、欠かせない山城です。今回は、高天神城搦手門駐車場(北口駐車場)に駐車して攻城開始です。
城郭説明
静岡県掛川市に位置する高天神城は、「高天神を制する者は遠江を制す」とまで謳われた、戦国時代の重要な山城です。武田氏と徳川氏による激しい攻防が繰り広げられたこの地は、歴史好きなら一度は訪れたい、見どころ満載の城です。
高天神城の様式と特徴
高天神城は、その地形を最大限に活かした山城の形式をとっています。標高132mの鶴翁山に築かれ、三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害であることが最大の特徴です。石垣はほとんどなく、多くの土塁や堀切、横堀といった土の防御施設が巧妙に配置されています。
特に注目すべきは「一城別郭(いちじょうべっかく)」と呼ばれる構造です。一般的な城郭が本丸を中心に形成されるのに対し、高天神城では井戸曲輪を境に東峰と西峰の独立した丘陵に分かれ、それぞれ異なる曲輪構造を持つ点が特徴です。東峰は主に居住空間、西峰は戦闘空間として機能していたと考えられています。これは、武田軍が占拠した際に、より複雑な防御構造へと改修された影響が大きいと言われています。
歴代城主と築城主:今川氏から武田・徳川の激しい争奪へ
高天神城の築城は、室町時代に今川氏によって行われたと考えられています。当初は今川氏の支城として、小笠原氏が城主を務めていました。しかし、今川氏の衰退に伴い、高天神城は徳川家康の支配下に入ります。
その後、「武田信玄でも落とせなかった」と言われるほどの難攻不落ぶりを発揮しますが、1574年(天正2年)には武田信玄の子である武田勝頼によって落城します。これにより、武田氏は遠江への足がかりを得ました。この頃の城主は、武田方の岡部元信が務めていました。
しかし、長篠の戦いでの敗戦を機に武田氏が衰退すると、徳川家康は高天神城の奪還を目指します。そして1581年(天正9年)、徳川軍の猛攻により高天神城は再び落城し、廃城となりました。まさに戦国時代の動乱を象徴する、波乱に満ちた歴史を持つ城です。
アクセス
案内図
人影ありませんねえ。南に向けて坂を上り登城していくと、搦手門跡があり、やや急な階段を登って行くと、三日月井戸がありました。さらに上ると、三の丸(南口追門)方面、本丸方面の分岐に出ました。今回は、時間の都合上、三の丸は省略して、本丸を目指します。
高天神城搦手門駐車場(北口駐車場)
搦手門跡
案内看板
搦手道
三ケ月井戸
本丸、三の丸分岐
三の丸、追手口方面
本丸方面に進むと、的場曲輪、御前曲輪があり、その先に、本丸がありました。本丸からの景色は最高でした。敵陣、一目瞭然でした。
本丸方面登城路
的場曲輪
御前曲輪
三の丸方面
本丸
本丸からの景観
駿府城の、発掘現場閉門が気になり、十分に攻城出来なかったのが心残りでしたが、戦国時代、徳川軍、武田軍の攻防の激戦地の難攻不落の山城、高天神城、攻城出来て良かったです。


















