静岡県掛川市 横須賀城 攻城256 (2025年5月中旬訪問)
滋賀県甲賀の宿を出発して、静岡県掛川市の海岸沿いにある、横須賀城に行きました。鈴鹿スカイラインの山道を走り、新名神に乗りましたが、何と、道路補修工事により、3車線が1車線規制になる区間があり、大渋滞で通過60分ほどかかりました。本日は、横須賀城、高天神城、駿府城と行く予定ですが、駿府城の発掘調査区域が17時までなので、暗雲がただよいました。13時半に、横須賀城跡公園駐車場に着き、早速攻城開始です。
城郭概要
静岡県掛川市に位置する横須賀城は、徳川家康が高天神城攻略の拠点として築かせた城として知られています。その歴史的背景と、全国的にも珍しい「玉石積み」の石垣が特徴の魅力的な城跡です。
横須賀城は、徳川家康が武田氏との攻防の最中に、軍事拠点として築かせた城です。高天神城(たかてんじんじょう)攻略の最前線基地としての役割を終えた後も、近世城郭として改修・整備され、江戸時代を通じて遠州南部の拠点として重要な役割を担いました。
築城主と歴史
横須賀城は、天正6年(1578年)に徳川家康の命を受けた家臣の大須賀康高(おおすかやすたか)によって築城されました。 当初は高天神城を包囲するための陣城としての性格が強く、松尾山と呼ばれる小高い丘陵を利用した山城の要素を持っていました。高天神城落城後も大須賀氏の居城として存続し、康高の子である忠政によって近世城郭へと改修が進められました。その後、城主は目まぐるしく変遷し、松平氏、井上氏、本多氏と続き、天和2年(1682年)に西尾忠成が入城してからは西尾氏が明治維新まで8代にわたって居城としました。
歴代城主(主要)
- 大須賀康高(初代築城主)
- 大須賀忠政
- 松平氏(能見松平氏など)
- 井上氏
- 本多氏
- 西尾氏(忠成以降8代)
城郭の様式と特徴
横須賀城は、平山城に分類され、中世城郭と近世城郭、両方の特徴を併せ持つ過渡期の城とされています。最大の特徴は、何と言っても「玉石積み(たまいしづみ)」と呼ばれる石垣です。 天竜川から運ばれた丸い河原石(玉石)を積み上げたもので、その独特な形状は全国的にも珍しく、見る者を惹きつけます。この玉石積みの石垣は、復元された部分が多いものの、築城当時の面影を今に伝えています。
また、縄張りは西側から二の丸、西の丸、本丸、三の丸が一直線に並ぶ「連郭式(れんかくしき)」に近い構造をしており、東西に細長い縄張りが特徴です。通常はひとつしかない大手門が東西に二つ設けられていたことから、「両頭の城」という異名も持ちます。
本丸にはかつて4層の天守がそびえていたとされ、天守台の礎石や周囲から出土した大量の瓦がその存在を物語っています。発掘調査の結果を基に、天守台や本丸周辺の石垣、土塁などが整備されており、当時の姿を偲ぶことができます。
横須賀城の見どころ
- 玉石積みの石垣: やはり一番の見どころは、丸い河原石が積み上げられた美しい玉石積みの石垣です。本丸を中心に随所でそのユニークな石垣を見ることができます。
- 本丸跡と天守台: かつて天守が建っていた本丸跡は、広々とした空間が広がり、天守台の遺構を見学できます。周囲から出土した瓦の展示なども見られ、在りし日の天守を想像することができます。
- 東西の大手門跡: 「両頭の城」の異名を持つ横須賀城の東西に位置する大手門跡も、かつての城の規模を感じさせる場所です。
- 三日月池: 本丸の東側に位置する堀の一部で、その形状から名付けられました。玉石積みの石垣と合わせて見学すると、より一層趣があります。
- 松尾山: 横須賀城の城域で最も高い場所であり、初期の城の中心地だったと考えられています。多聞櫓(たもんやぐら)の跡も確認されています。
- 関連施設: 撰要寺には移築された不明門が残り、初代城主・大須賀氏の墓があります。恩高寺には横須賀城の鯱瓦と鬼瓦が、本源寺や龍眠寺には歴代城主の墓があります。













