和歌山県和歌山市 和歌山城 攻城255 (2025年5月中旬訪問)その1
百名城No62 73/100
高取城を後にして、途中、奈良県御所市内の酒屋で日本酒(風の森、百楽門)を買い、和歌山城に向かいました。和歌山城は、以前からずっと行きたかった城でした。和歌山城公園不明門有料駐車場(350円/90分)に駐車して、今回は、城郭南側の駐車場から続く、新裏坂から攻城開始です。
和歌山城場所
城郭説明
和歌山市の中心にそびえ立つ和歌山城は、その威容と美しい姿から「虎伏山(とらふすやま)」の別名を持つ名城です。今回は、その様式、歴代城主、そして特筆すべき特徴に焦点を当て、和歌山城の魅力を深掘りします。
和歌山城の様式:連立式天守の壮麗さ
和歌山城は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長の命により、築城の名手、藤堂高虎が普請奉行として建てた城で、最も特徴的な建築様式は、その連立式天守です。これは、大天守と小天守が複数の櫓や多聞櫓(防御用の細長い建物)で連結されている構造を指します。姫路城や松山城などにも見られるこの様式は、複数の建物を一体化させることで、防御力を高めるとともに、見る者に複雑で壮麗な印象を与えます。
現在の天守閣は、残念ながら第二次世界大戦で焼失した後、1958年(昭和33年)に再建されたものですが、その建築様式は江戸時代の姿を忠実に再現しており、当時の技術と美意識を感じさせます。
和歌山城の城主:紀州徳川家の栄光
和歌山城は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の十男である徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)が入城し、紀州徳川家の居城となりました。紀州徳川家は、水戸徳川家、尾張徳川家と並ぶ「徳川御三家」の一つであり、江戸幕府の要職を多数輩出するなど、絶大な影響力を持っていました。
頼宣は城郭の大規模な改修を行い、現在の和歌山城の基礎を築きました。その後も、歴代の城主たちは城の維持・発展に尽力し、和歌山城は紀州藩の中心として、また徳川家の権力の象徴として、その歴史を刻んできました。
和歌山城の特筆すべき特徴
和歌山城には、その歴史と文化を物語るいくつかのユニークな特徴があります。
- 虎伏山(とらふすやま)に築かれた堅固な縄張り: 城が築かれた虎伏山は、その名の通り虎が伏せたような形をしており、天然の要害となっています。この地形を巧みに利用した縄張りは、敵の侵入を防ぐ上で非常に効果的でした。
- 石垣の多様性: 城内には、時代や場所によって異なる積み方の石垣を見ることができます。野面積み、打込ハギ、切込ハギなど、石垣の変遷を観察することで、当時の築城技術の進化を感じることができます。
- おもてなしの心「御橋廊下(おはしろうか)」: 藩主が二の丸と西の丸を行き来するために架けられた屋根付きの橋「御橋廊下」は、斜めにかかっている珍しい構造をしています。現在は一般公開されており、実際に渡ることができます。これは、単なる移動手段としてだけでなく、訪れる人々への配慮と「おもてなしの心」が感じられる特徴と言えるでしょう。
- 美しい庭園「西の丸庭園(紅葉渓庭園)」: 二の丸の北西に位置する西の丸庭園は、その雅な雰囲気から「紅葉渓庭園」とも呼ばれています。池泉回遊式庭園で、四季折々の美しい景色を楽しむことができ、特に紅葉の時期は見事な景観を作り出します。
和歌山城への誘い
和歌山城は、その壮大な建築様式、徳川御三家の歴史、そして随所にちりばめられた魅力的な特徴の数々が、訪れる人々を飽きさせません。天守閣からの眺めは絶景で、和歌山市街を一望できます。歴史好きの方も、そうでない方も、ぜひ一度、和歌山城を訪れて、その悠久の歴史と美しさに触れてみてください。
案内図
歴代城主
新裏坂から天守、本丸御殿跡まで
新裏坂
天守、本丸からの眺望
本丸御殿跡
本丸御殿跡からの天守眺望
次回は、二の丸、大手門方面を紹介します。













