三重県玉城町 田丸城その1 攻城212(2022年11月2日訪問)

日本続百名城 No154 40/100

 

<城郭概要>

田丸城は、三重県玉城町にある、平山城で南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信により築城されたようです。伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられ、足利尊氏によって落城し、その後、室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建され、北畠氏が田丸氏を名乗り城主となったようです。戦国時代、織田信長の伊勢侵攻に伴い織田信雄が城主となり、三層の天守を築城しましたが、1580年に火災で焼失し織田信雄は松ヶ島城へと移ったようです。その後田丸藩が置かれ、明治初期に廃城となったようです。

遺構として、郭、堀、石垣、土塁、富士見門が現存しています。

 

城郭図

 

案内図

 

御城印

 

<攻城1>

田丸城三の丸跡に建つ、玉城町役場駐車場に駐車して攻城開始です。城郭外堀西に大手門跡がありました。大手門から西に進むと石垣の二の門跡があり北に進むと奥書院跡に建つ玉城中学校の脇を抜け、富士見門にたどり着きます。三の丸は広大で中央に南北に道路が走っています。

 

玉城町役場駐車場

 

 

外堀

 

 

大手門跡

 

 

二の門跡、案内板

 

富士見門への道

 

二の門跡を望む

 

 

三の丸跡東側

 

三の丸跡西側

 

富士見門への道、土塁

 

富士見門