群馬県 上州真田3名城の旅 沼田城跡その2 攻城143(2020年11月4日訪問)
本丸の北には捨て曲輪があり、さらに北に、深い堀を挟んで、二の丸跡がありました。二の丸は現在住宅地になっていました。本丸奥には天守台跡の小高い築山があり、本丸を守る水堀のあとの石垣がありました。
その外は広大な三の丸跡があり、土塁で囲まれていました。その南側、駐車場の対面は発掘調査と思われるブルーシートがかけられていました。
本丸奥の捨て曲輪
現在住宅地になっている、深い堀の対岸、二の丸跡
本丸
本丸北東の天守台跡
本丸の水堀跡
土塁に囲まれた三の丸跡
発掘調査中の三の丸跡の一部
沼田城の城郭は本丸を中心として、城址公園として整備されていて、見ごたえのある城郭跡でした。真田親子が関ヶ原合戦前に、父昌幸と次男信繁は西軍、長男信幸は東軍と決めた合議の地が、沼田城近くの犬伏といわれています。沼田城主信幸の妻は、徳川四天王、本多忠勝の娘小松姫で、義理の父、本田忠勝から、優秀な武将として認められていたようです。真田丸の影響か、弟信繁(幸村)のほうが有名ですが、上田合戦では、徳川軍を翻弄した立役者と言われています。だからこそ、本多忠勝に認められたんでしょうね。真田家の存続のために、東西に分かれた親子ですね。ちょっと、悲しいですね。信幸は徳川に忠誠を尽くすために、名を信之に変えていますね。沼田城から松伏城(海津城)に移封された後、幕末まで代々栄えたんですから、名君だったんでしょうね。真田親子の戦国時代の明暗の生きざまは、大好きで、感激しますね。戦国武将で一番は、立花宗成と押す人が多いようですが、私は、真田親子を押したいです。
本日の城めぐりはここで終了です。渋川で一泊した後、いよいよ、岩櫃城です。熊が心配です。
夕食は、ホテルで、登利平の弁当です。鳥追い弁当と鳥唐あげ弁当を夫婦仲良く分け合って食べました。とても、美味しかったです。









