岩殿城跡その2(2019年11月8日訪問)

富士山の雄姿に感激しながら登って、十数分で城門のような門がありました。くぐると小櫓がありました。岩殿山ふれあい館です。城の遺構ではありません。左手に、登城口がありましたが、残念ながら、通行禁止でした。断崖絶壁の岩殿城跡には登れませんでした。ふれあい館で聞くと、別の登城口があるようですが、本格的健脚な方で30数分かかり、急とのことで、今回は断念しました。目の前にある登城口もかなり急です。これ以上とはどんなに急?いずれ、若いうち(60過ぎですが)にまた来ます。ふれあい館は丸山の頂上にあります。ここからの、岩殿城跡は難攻不落ですね。食料絶たれたら終わりですけどね。一方、富士山の雄姿も、眩しいくらいです。絶景です。

 

 

丸山にある門、ふれあい館

 

ふれあい館で入手した岩殿城城郭図

 

 

 

岩殿城登場口

 

 

丸山から見る岩殿城跡、富士山

 

 

岩殿山城は、武田勝頼の家臣小山田信茂の居城ですが、新府城から武田勝頼を受け入れる算段でしたが、

織田信長に寝返った結果、武田家は絶滅しましたね。信茂自身も信長に甲斐善光寺で処刑されています。

主君を裏切った罰ですね。三方ヶ原の戦いでは徹底的に家康を追い詰めましたが、信玄の死後、長篠の戦いでは、織田・武田連合軍に負けで多くの優秀な家臣を失い(井伊直政は残った家臣を引き入れ赤備えという最強軍団を引き継いでますが)、家臣小山田信茂の裏切りにあい、武田家は滅亡したんですね。感慨深いですね。