新府城跡その3(2019年11月6日訪問)
本丸にある神社から石段を下り、帯曲輪にでました。帯曲輪を北上して城郭の北側に出てみます。北側には、東出溝、西出溝があり、堀がありました。帯曲輪の北西側に乾門桝形虎口跡がありました。いわゆる搦手門(逃げ口)ですね。
帯曲輪
東出溝
西出溝
堀跡
乾門桝形虎口跡
城郭外北側
新府城は、現在の山梨県韮崎市にかつてあった連郭式平山城で、築城主は武田信玄の4男、武田勝頼です。石垣は使われない平山城で、本曲輪・二の曲輪・東の三の曲輪・西の三の曲輪・帯曲輪などにより構成され、丸馬出し・三日月堀・枡形虎口などの防御施設を持つ、「THE 武田の城」そのもですね。
長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼ですが、その後、領土拡大してますね。結局、最後は織田・徳川連合軍に追い詰められ新府城を追われて、武田氏は滅亡してます。その後、徳川家康は新府城を改築しているようです。さらに、豊臣秀吉の家臣の城になった後、甲府城が築城されてから廃城になったようです。戦国最強を誇った武田軍最後の居城となった新府城にきて、感慨深いものがこみ上げてきました。
強者が歴史を書き換える戦国の世で、本当の真実は誰もわからない、でも、城跡だけが残っている、そこからいろいろなことを想像してみる、だから、城めぐりは、感慨深いものがあり、面白いと思っています。
この後は、ハスラーで甘利山登山です。






