小牧山城(2018年4月28日訪問)

清州城を後に、五条川を北上して、名岐バイパスに乗り入れ、一宮インターから名神高速に乗り、小牧インターで降り、南下して、途中焼き肉屋で軽く昼食を済ませ、小牧山北駐車場を目指します。運よく駐車場空いてました。車を降り、搦め手道側から城を攻めます。土塁、空掘り、虎口跡を左に見ながら登城口らしき道に出ました。案内看板がありました。左折してつづら折りの道を登って行きます。頂上付近で巨石石垣発掘跡があります。巨大な石垣があります。さらに上ると、小牧城模擬天守がありました。中に入ります。木造の模擬天守です。木のぬくもりは心地よいです。天守最上階からの展望は最高です。城ボランテイアの方としばし、談笑しました。家康愛が最高でした。後に行く関ヶ原では、家康こてんぱんでしたけど。城めぐりしていると、その土地土地での郷土愛があり、楽しいです。信長はこの城で、周囲を展望して、天下統一を胸にしたと、京都はすぐそこだと、熱弁してましたね。小牧・長久手の戦い編では秀吉ぼろくそでしたね。この辺は賤ヶ岳合戦で秀吉に討たれた柴田勝家の領土だったそうで、皆家康の味方だったとか、この戦いでは、秀吉自身は大阪城築城に忙しく、加藤清正、福島正則、黒田官兵衛等が参加していなかったとか、熱弁が楽しい。

 

空堀底 両側土塁

 

搦手口

 

案内板

 

 

 

空堀跡、土塁、虎口跡

 

 

 

 

石垣

 

天守閣

 

木造階段

 

 

天守からの景色

 

小牧山城は、織田信長桶狭間の戦いに勝利したのち、念願の美濃国併呑を実現すべく、清州城で徳川家康清洲同盟を結び、尾張国東側の脅威を取り除き、全力で美濃国を攻める体制を整えるために、築城されたようです。丹羽長秀城築城奉行としていたようで、清州の城下の民衆も移転されたようです。織豊系城郭と呼ばれる石垣の城郭体系の原点であるとされているようです信長は美濃を平定してすぐ岐阜城に移り、小牧・長久手の戦いで、劣勢の家康が立て篭もり勝利し(TV諸説ありでは秀吉が勝利者?)、信長、秀吉、家康の天下人の歴史のある城ですね。天守閣自体は、西本願寺の「飛雲閣」(伝聚楽第の遺構)をモデルとした模擬天守ですね。

今日は、岩倉に宿泊して、明日は岐阜城と行きたいところですが折角なので、郡上八幡城をはさみます。

ということで、次回は郡上八幡城です。