山中城跡(2018年2月10日訪問)
山中城跡バス停の道を挟んで反対側南側に岱崎出丸があります。秀吉の小田原征伐の時に、造られたようですが完成しなかったようです。本丸へ北進する秀吉軍を背後から挟み撃ちするような位置取りです。
岱崎出丸への階段
曲輪
またまた畝掘り
岱崎出丸見張り台から富士山を望む
すり鉢曲輪
岱崎出丸を30分ほど歩いて往復した後、小田原合戦の武将たちの墓に行くことに。山中城跡バス停から5分ほどのところにあります。宗閑寺という寺の境内に祭られてました。中央の墓はこの合戦で戦死して、秀吉を悲嘆させた、一柳直末の墓で立派です。左に北条側の松田康永らの墓です。勝者、敗者仲良く祀られてます。
宗閑寺
武将たちの墓
宗閑寺奥の池
山中城合戦は、秀吉が、毛利氏、島津氏を配下につけ、天下統一の最後の決戦です。(その後奥羽州仕置きの九戸の戦いはありますが)。この山中城を総勢7万人で取り囲みました。右翼に池田輝政(後の姫路城主)2万、左翼に徳川家康(後の江戸城主)3万、中央に総大将豊臣秀次以下中村一氏、一柳直末、山内一豊(後の高地城主)、堀尾吉晴(後の松江城主)ら2万のそうそうたる布陣です。わずか半日の戦いながら、豊臣側に多大な戦死者をだしました。まさしく、日本最大の、山城の傑作です。市の整備状態も非常によく、天候も快晴で、富士山が綺麗な、満足する一日でした。







