アジアで大きな天災が2つもあって、
ちょっといたたまれない・・・
尊い命が少しでも救われますように・・・
妊娠してからというもの、
とにかく眠くて、ソファーに横たわるとすぐ寝てしまう
PCに向かうにも集中力が・・・という有様で、
大して何もできずに一日がおわっていくこと多し・・・
メールのお返事
も滞ってしまっていて、ごめんなさいm(__)m
何卒、気長にお付き合いしてやってくださいませ(-人-)
最近の私の心境は、
ベビちゃんの誕生をとても楽しみ
にしておりますが、
Timote☆という私個人の人生、
とりあえずピリオドって感じだわ~って
それを覚悟していたから、いままで一生懸命だったんだけれど・・・
でも「あ~バレエのレッスンに行きたい、ピアノのレッスンにも行きたい」
という衝動に襲われます(笑)
妊娠生活あと5ヵ月か・・・
まあ、今はこれまでのように足取り軽くどこかへ行けるでもなく、
家でうつらうつらしてしまうことが多いからそう思うのでしょうね・・・
きっとベビちゃんが誕生したらそんな気持ちも忘れるにちがいない!
というか、そんなこと考えてられないでしょうね
土曜日は、戌の日
のお参り(安産祈願)へ、
Darlingさんと、お義母さまとともに、塩竃神社へ行ってまいりました♪
境内は、まるで産婦人科の待合室!妊婦さんいっぱいでした(^^)
そうして、祈祷をすませ、
無事お産を果たしたあかつきには、私もママとなるわけですが、
だからというか・・・子供の育て方についてもいろいろ思う訳。
暇だしね(^^;)
一番強く思うのは、その日、安産祈願をしたように、
古くから伝わり、人間の生活や地域に密着してきた
宗教的な思想を尊ぶことを、今改めて大事にしたいなってこと。
やはり、
古くから尊ばれ、信仰されてきた思想や教えというのは、
その地域の人が幸福を願って信じて、
生活の中ではぐくんできた思想・哲学であると思うから・・・
以前「美意識力
」というタイトルで徒然書いたことがあったけど、
やっぱり道徳や情緒だけで何かを諭すことは難しいと思う・・・
だから今、現代社会でほぼ失われている、宗教的な思想、
信仰心というものを、私もよく見直したいと思っているの。
何を信じるか否かは別として、
人が何故生まれて死んでいくのか等、
直接的に命や魂について説いているのは、
神学・宗教とカテゴライズされる思想にしかないと思うし、
今このように「道徳や倫理、モラルがまるで通用しないのか?」
と思われようなことが多い世の中なのは、
まず、そうしたものへの信仰心が失われているからだとも思うもの・・・
命をさずかったら、あとは進むしかない、
そう後戻りはできないから、生きて行く上で難しいと思われることや、
不安にかられることが沢山あるんだと思う。
だから昔から人々は神様にお祈りして、
安心を求めたり、道を見出したり、心を強めたりしてきたのだと思う・・・
しかし今、そういう思想的な知恵が頭にも心にもなく、
祈ることを知らない人間が多いから、
衝動に支配されてしまう人間が多いのではないのでしょうか・・・
最近の事件ように、心が満たされないとか、不安だというだけで、
物言わぬ植物や動物や自分より力の弱いものを傷つけたり、
殺めたりしてしまう人間のニュースをきくと本当に怒りを覚える
だから、例えば子供をしつけるとき、
小さい頃は「ダメなものはダメ」と、
言うことを聞かせることはできるでしょうし、
「かわいそうでしょう」とか「うれしいでしょう」
という情緒的な部分で物事を納得させることはできるでしょうが、
少し大きくなったら、それだけでは納得させられなくなる・・・
「なぜ自分を人を大切にしなくてはならないか」
「自分を大事にするということはどういうことなのか」ということを、
親も教えられないとだめだと思うのです・・・
だから、余計にそうした宗教的な思想、信仰というものも
大切にしたいと思ったりしています。
といっても、
今現在、私自身に特定の信仰があり、
それにそった生き方をしている訳ではありません・・・
あえて言うなら、
地元が門前町だったこともあり、子供のころ、
お寺のあんじゅさまのお説教を聴く機会が多かったとか、
ミッションスクールにいたことがきっかけで、
18,19の頃にキリスト教(プロテスタント)に
かなり熱心になっていたことがあるというくらいで、
ロザリオはカトリックのものね
初詣には神社へ行き、お盆には先祖をまつり
クリスマス
にはお祝いをするという、
宗教についてはマルチに接し、
都合よく生活に取り入れている人間です・・・
ただ、
祈るということは、人間だけに与えられたすごい力
だと思います・・・
だから、いつでも心を素直にして、神様にお祈りができる・・・
そんな自分でありたいし、
その大切さを子供にも伝えられるような人でありたい。