昨日、フジコ・へミングと北東ドイツフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きに行って参りました♪
フジコ・へミングには、そこまで興味はなかった私ですが、今職場でご一緒している方からのお誘いがあり、なかなか取れないチケットだし、一度は生でその音を聴いてみようと、行って参りました♪また、本場ドイツの管弦楽団によるシューマンの「春」がプログラムにあったこともあって♪
興味がなかったとはいえ、フジコ・へミング。
99年にNHKで放映されたドキュメント番組を偶然見たとき、私も衝撃を受けました。不思議なインテリアの部屋の中で無数のノラ猫たちと戯れながらピアノを弾く老婦人・・・その人は「私には祖国なんてないないの」とインタビュアーに向かってタバコをすいながら無愛想に答える・・・ 「誰?この女性は?」って思いました(^^;) ピアノがあったから、 孤独に打ち勝ってきたというような・・・ ピアノを弾くために孤独までもを愛してきたというような姿に写りました・・・ (今ではその状況とは随分ちがいますね)
そして、その老婦人が、バーンスタインに招かれ世界をにぎわす筈だった、ピアニストだという・・・しかも、不遇による不遇で生きるか死ぬかの生活をし、そうした数々のチャンスを失ってきたという・・・
そんな驚くべき話ととともに展開される番組の中で、彼女が弾いたリストの「ラ・カンパネラ」を聴いた時は、私も涙がでました・・・そして翌年に出版された自伝?も買って読みました。
でも、CDは一枚も買いませんでした。その音楽よりも、奏者の人間ドラマがあまりにも先行してしまっていて、この人の音楽は音楽として純粋に聴けないと思ったから・・・
音楽はやっぱり、作曲家ありきだと思います。 そしてその作曲家や作曲家の作品よりも、演奏者の人間ドラマが前に立ってしまうというのは、余計なイメージと心情が入り込み、音楽好きの私にとっては、好ましくない状態(><)
私がまず興味があるのは、演奏家ではなく、音楽の方。その音楽がすばらしく演奏した人であるならば、その演奏家にも興味が行ったりもしますが・・・どちらにしろ、曲が最初です。
さてさて前置きはそのくらいにして(^^)>”プログラムは以下のようなものでした。
------------------------------------------------------------------
1.モーツァルト:歌劇「皇帝ティート」K.621より序曲 アレグロ ハ長調
2.ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」 全楽章
※ショパン:ピアノ協奏曲第1番から変更
<ピアノソロ・アンコール>
・ショパン:エチュードOp.10-12「革命」
・リスト:「ラ・カンパネラ」
3.シューマン:交響曲 第1番 変ロ長調 作品38「春」 全楽章
<オケ・アンコール>
・ブラームス:ハンガリア舞曲 第2番 ニ短調
・山田耕筰:「赤とんぼ」
------------------------------------------------------------------
そしてTimote☆な感想♪
とにかく私は、北東ドイツフィルが素晴らしかった!
また、やっぱり、シューマン、ブラームスはもうもうもうもう良かった!素晴らしかった!
ドイツまで行ってもう一度聴きたくなった位!
そして、「赤とんぼ」をオケで演奏してくれたときには、会場がどよめきました。
異国の楽団が奏でる素晴らしい日本のメロディーに涙が出ました(T_T)
もう、最高です北東ドイツフィル!ブラボー!!
ただ、フジコ・へミングは、ごめんなさい(><)
それほど、期待をしていなかったのですが、それでもガックリ・・・
それほど期待をしていなかったというのは、専門の人がよく
「他にちゃんとした、いい演奏をする人はもっといるのに、あそこまで騒がれるものでもない。」とか、「別の意味で感動したいんであれば、泣けるでしょう」と言うのを聞いていたから・・・
実際フジコ・ヘミングの演奏を聴いてみて・・・硬くなく、粋な弾き方で、かっこいいなあとも思いました☆でも・・・もし、フジコ・へミングだけだったら、私はこのスペシャルシートのチケットを買ったことを非常に後悔したと思いました。目玉のベートーヴェンの第5コンチェルトですが、まるでオーケストラと合ってなくって、肩が凝ってしまいました・・・聴きたいところで聴かせてくれない、酔わせてくれなくて、フラストレーション・・・特に2楽章、大~好きなのに(T_T)
私が最近クラヲタになりすぎているせいか?(笑)と思って、ご一緒した方に聞いてみたら、やっぱり「なんか・・・ズレてたよね」って(^^;)しっくりきていない様子でした・・・ ベー様のPコン#5は、去年か一昨年、新人演奏会で聴いたけれど、正直、そのときの女の子の演奏の方が絶対いいって思いました!
彼女のその不遇な半生。そして、もう年老いて、しかも方耳がわずかしか聞こえないということを考えたら、素晴らしいのかもしれないです・・・でも、私は、音楽を聴きコンサートホールに来たので、ベートーヴェンだったらベートーヴェンの素晴らしい演奏が、名演奏が聞きたかった!
音楽を聴いているときは、音楽に集中していたいし、また、実際に音楽を聴いているときは、演奏者がどういう顔で、どういう半生を生きて生きたとか、そういう事情があるなど、どうでもよくなる。だから、彼女の半生には感銘を受けたが、彼女の妙技を見に来たわけではないし、そうい背景を加味する必要なく、音楽で感動させて欲しかったのが本音です。
そういう私の心情を考えると、本来音楽を聴く側にあっては、演奏者が身体が不自由であろうと、年が若かろうと年老いていようと、有名であろうと無名であろうと、輝かしい経歴があろうとなかろうと、容姿がどうであろうと関係ないのだと思いました。 “いい演奏”“心地よい演奏”がその全てだと改めて思いました。 “いい演奏”がどういう演奏か、その捉えどころも人それぞれかもしれません。
でも、演奏者は誰しも、作曲家にとっての名演奏家であってほしい・・・そう思います。
私はアマチュアでピアノを弾いているけれど、アマとはいえ人前で弾く時は、そういう心構えでいなくてはいけないなと思って、改めて胃が痛くなったりして(^^;)
そして、それこそが“作曲家に敬意をもつ”ということなのかな?と今回思いました。
そうシューマンがいう
「いつも偉大な音楽家が聞いているつもりで弾きなさい」とは
そういうことなのかも知れないですね・・・
またクララの言葉
「作曲家の素晴らしく偉大な考え方とか情感を表現してゆく努力をする中で、あなたは自分自身のパーソナリティを忘れなくてはいけません。作曲家への崇敬の無い演奏家など、偉大ではありえません。」
これは、少し理解に難しいところがありましたが、今回ようやく理解ができた気がします。
日本を代表するピアニストの中村紘子がNHKのテレビ講座で、
『シャイン』のブルコットや、フジコ・へミングについて、
「音楽以外のプラスアルファの部分でセンセーショナルとなっている」
といっていました。また、
「彼らの音楽を聴く前に、そうした彼らの人間ドラマを観て感動していたら、
私も感動していたかもしれない」と言っていました。
厳しいお言葉にも思えましたが、今回、納得した部分でもありました。
満員御礼の会場でしたが、フジコ・ヘミングの演奏終了後、いい席にもかかわらず、結構、退場した方が目立ちました。その後、あんなに素晴らしい、シューマンやブラームスや山田耕作が待っていたというのに!クラシック・ブームとはいえ、日本はまだまだ、音楽よりも、話題性重視で劇場に足を運ぶ人が多いのかと思ったorz(それとも名古屋だけ??)
フジコ・ヘミング、もう一度聴くなら、 サロンで自由に弾いているところに訪れて聴きたいなと思いました。
←S席限定でCDがプレゼントがありました♪